〈本の紹介〉 「自衛隊−変容のゆくえ」 |
専守防衛から海外へ 朝鮮半島が根底に 日本は憲法(9条)によって軍隊を持つことを禁じられている。かつて「大東亜共栄圏」などと、独りよがりの妄想を実現しようと朝鮮半島を不法に植民地支配した後、中国大陸、東南アジアなどを侵略し口では言い表せないほどのじん大な被害を与えた教訓、戦争は二度としないという戒めからだった。 しかし、1950年の朝鮮戦争を契機にソ連・共産主義との対決を標榜した米国の世界戦略の下、米国の要求によって警察予備隊という名の「軍隊」が設立された。警察予備隊はその後、保安隊(陸)・予備隊(海)と改組され(52〜54年)、さらに陸、海、空の3自衛隊(54年〜)へと改変、拡大され現在に至っている。 同時に「侵略から国を守る専守防衛のための」自衛隊という名の「軍隊」はこの間、その性格を大きく変えた。核兵器こそ持たないもののGDPの1%が毎年、予算として注ぎ込まれ、最新鋭装備で武装した世界水準でも5本の指に入るといわれる軍事大国の地位にまで上り詰めた。 昨秋発足した安倍政権は、その自衛隊をカッコ付きの「軍隊」からカッコを取った他国と同様の普通の軍隊とするための措置を講じた。まだ記憶に新しい、今年1月の防衛庁・自衛隊の防衛省・自衛隊への格上げである。これを機に自衛隊は、専守防衛という殻を脱ぎ捨てて「我が国周辺の地域」「国際連合を中心」云々までを本来の任務とする軍隊に生まれ変わった。つまりは、国を守ることだけに限定されていた「軍隊」から、海外での軍事行動をも任務とする軍隊の誕生だった。 その背景を見ると、まずは冒頭でも指摘したように自らの世界戦略を実行していくうえでの米国のそれぞれの時代の要求がある。初期は自衛隊を米軍の補完戦力(後方支援部隊)として、次には米軍を補佐して共に軍事行動し(以上は朝鮮戦争以降冷戦を経てソ連崩壊まで)、そして今日では米軍の指揮下、共に戦う戦力(91年の湾岸戦争後、とくに2001年のアフガン、それに続くイラク侵攻)としてである。 さらに背景を語るうえで見過ごせないのが、米国の要求を盾にした日本独自の意思の追求である。わかりやすくいうなら、かつての「大日本帝国」への回帰であり、具体的にいま視野に入っているのが安倍政権が公約とした憲法改正による戦う国作りである。 普遍的にその根底にあるのは、朝鮮半島を念頭に置いた思考、行動指針の具体化だった。「三矢作戦研究」(63年)、「フライング・ドラゴン作戦」(64年)、「ブル・ラン作戦」(66年)、さらに「K半島事態対処計画」(93年)など節目節目で自衛隊は第2次朝鮮戦争に対処した出兵計画を立ててきた。 その一方で、2006年2月にファイル交換ソフト「ウィニー」を通じて漏出した「平成十五年度海上自衛隊演習 佐世保地方隊作戦計画骨子」からわかるように、朝鮮を「茶国」、米国を「緑国」とした共同訓練が米日海軍で行われていたことが発覚した。秘密に付していた事実がたまたま表に出ただけのことであって、このことからほんの氷山の一角にすぎないだろうことが容易に推察される。 本書は警察予備隊−保安隊・警備隊−3軍自衛隊、言い換えるならそれぞれ監督官庁・省である警察予備隊本部−保安庁−防衛庁−防衛省への変遷過程をたどりながら、前述したような自衛隊という名の日本軍がどのように変容してきたのかを浮き彫りにしようとした労作である。 内容は「序章 『防衛省』発足が意味するもの」「第T章 転換期を迎える自衛隊−冷戦の岐路と変容(1冷戦終結後の国際安全保障環境−ベルリンの壁、ソ連崩壊、冷戦終結 2日米関係の変質と自衛隊)」「第U章 海を渡った自衛隊(1海外で自衛隊は何をしてきたか 2戦地に派遣された自衛隊−イラクで何をしてきたか)」「第V章 戦う軍隊へ−捨て去られる『専守防衛』(1戦う軍隊への改編 2戦争を想定した訓練の実態 3戦力としての自衛隊 4米軍再編と自衛隊)」「第W章 自衛隊の行方(1誰のための自衛隊か 2真の平和を求めて)」からなる。それぞれの章の見出しから本書の内容は一目瞭然である。 軍事は政治そのものをも照射し、表裏一体の関係にある。若い人たちにじっくりと読んでほしい一冊である。(前田哲男著、岩波新書、740円+税、TEL 03・5210・4054)(厳正彦記者) [朝鮮新報 2007.8.21] |