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〈朝鮮と日本の詩人-35-〉 須田禎一

 十三弦の伽倻琴から/純白の衣裳から大同江の流れが湧き/白頭山の雲が動く。

 祖国とはありがたいものです この大学だって−≠ニ/若い君たちは言う。/まだ見ぬ祖国へ/君たちの眉はあがる。

 しかし日本人 ぼくの心は重い。

 壬辰の秀吉を、已未の寺内を批難することが、/朝鮮人の学校に許されないのか。/君たちの父母、君たちの祖父母を/海峡こえて来らしめたものは誰か、/唇を噛みしめて半世紀を耐えしめたものは何か。

 金樽の美酒は千人の血/玉盤の佳肴は万姓の膏

 秀吉や寺内の子孫は/その血と膏でぬくぬくとした日をなつかしんでいる。

 秀吉や寺内を積極的に讃える教育を/も一度やりたくてうずうずとしている。

 千里馬の君たちの祖国との往来を/大手をひろげて通せんぼしているもの、それを片づけるのは、君たちではなく、ぼくたちの義務だ。

 十三弦の伽倻琴に聞き惚れ/純白の衣裳に見惚れながら/日本人 ぼくは唇を噛みしめる。

 「唇を噛みしめる」(全文)と題されたこの詩は「朝鮮大学校創立10周年記念祝賀会に招かれて」と添え書きされている。詩人は、朝大生たちから深い感銘を受けて、即興詩(アムプロプチュ)として書いたにちがいない。

 第1連の3行は、朝大生の姿を民族楽器と革命の聖山に重ね合わせていて見事である。第2連では「君たちの眉はあがる」という1行で、祖国の若人として学ぶ学生の民族的誇りを躍動させている。それに比べて、詩人は日本人であることに自責の念にかられ「心は重い」とうめく。第4連は豊臣秀吉と、初代朝鮮総督寺内正毅の名をあげて植民地化を断罪し、日本支配層の歴史認識の時代錯誤と傲慢を糾弾している。

 須田禎一は1906年に茨城県に生まれ東大を卒業。国際政治の専門家で、北海道新聞の論説委員を務めたことがあり、時局詩を書いたことで知られる。この詩は「詩の中にめざめる日本」(真壁仁編 岩波新書)に収められている。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.8.29]