〈この人、この一冊 −6−〉 「在日朝鮮、韓国人と日本の精神医療」 黒川洋治さん |
国際的な孤立免れぬ「美しい日本」 「在日朝鮮人の発病にいたる過程は、『在日』という『負』の歴史が刻印された『個』の生活史を抜きには考えられないのです」と静かに語り始めた。 自ら末期ガンに冒され、死と背中合わせに生きながら、血を吐くような切実な思いで、精神科医として「在日朝鮮人と日本の精神医療」というきわめて重いテーマに向き合った。 「意図とは違って、この本が、日本の社会で隠然と続いている在日朝鮮人への差別や国粋的な悪口をあおる口実になってはと心配しましたが、杞憂に終わってホッとしています。かえって、在日のみなさんから好意的に受け止められていることに感謝しています」 日本ではおそらく初めての一冊。なぜ、黒川氏が「タブー」を超えることができたのだろうか。氏の人生の軌跡と無縁ではあるまい。 若い頃、学生運動にのめりこみ、戦争、搾取、差別、不平等などに強い怒りを感じていた黒川さんは、在日朝鮮人の「出入国管理令」反対闘争なども支援し、在日の民族権利を守る闘いに深い理解をもち続けてきた。さらに、70年代半ばに米国に留学し、そこでの精神医療に携わった経験も大きな転機をもたらすことに。
「米国においては、文化的背景や抑圧構造を理解することなしには精神科の治療はなりたたない。米国精神医学会でも積極的にこの問題に取り組んでいます。 しかし、日本ではドイツ流の伝統的な精神医学が支配する土壌の中で、患者は『座敷牢』で治療を受ければいいという隔離、収容が中心で、保護的ケア以外に有効な治療法が存在せず、民族性の問題などは考慮の外にあったのです」 在日の患者にとってまさに「精神医療における棄民、在日朝鮮人への差別偏見など、二重、三重の疎外状況が作られてきた」と顔を曇らす。 欧米に根づいたコミュニティーケア、ノーマライゼーションなどの思想には適当な日本語はないというが、黒川さんは「社会の中で支えあって、共に生きる」ことと説明する。差別、偏見、誤解や「厄介払い」などという考えが大手を振っている世の中は、弱者、病者が住む範囲を著しく縮めている。そのような背景の中で、在日朝鮮人精神疾患患者が置かれている「痛ましい」現状を照らし出した意義は大きい。 本書のなかの多数の症例のうち、1世たちのケースには、植民地支配の受難のなかで受けた警察官による系統的で強固な迫害妄想、警察、刑務所、病院からの迫害、被毒妄想があげられている。
故郷と引き裂かれ、渡日したものの、適応できず、職を転々としたあげく、言葉も通じない日本社会の片隅にぼろ雑巾のように打ち捨てられた人たち。そんななかで「警察に監視されている」という妄想は、在日の日常にあっては、幻聴や妄想でもなく、現実そのもの。ここでは、彼らをそこにまで追い込んだ日本社会の根深い差別の構造こそを問うべきだと、黒川さんは強い問題提起を行っている。 精神科医として、多くの在日の患者と向き合い、その病に寄り添ってきた黒川さん。実はこの本に収録された論文は、すでに20数年前に書かれ、本棚の奥深くに置かれたままだった。 「その間、日本の精神医療の問題は一向に改善していません。私自身も余命幾許もない現在、やはり、これは何かの形でかき残しておかなければと強く思うようになりました。また、21世紀に入っても、世界的な規模で民族、宗教をめぐる対立、差別、テロ、戦争などが、冷戦終結後むしろ顕著になってきました。米国が『報復』を理由に、問題を武力、戦争で解決する道を選んだとき、いいようのない失望と怒りを感じました。果てしない憎悪と怒りの応酬の根源には、相互の理解を拒絶する厚い壁が存在する。それが他者を自分とは異なった存在として排除、抹殺する『差別の論理』そのものだからです」 さらに黒川さんを、病を押して本の出版に駆り立てたのは、安倍政権の誕生だった。 「日本と朝鮮半島の間に横たわる深い歴史認識の溝。拉致、靖国、教科書、竹島(独島)…。さらに植民地支配、侵略戦争、『従軍慰安婦』問題を認めず、アジア諸国はもとより世界中から非難されるありさまです。拉致問題をてこに朝鮮民主主義人民共和国強硬路線をとり、『美しい日本』をめざすなどというのでは、ますます国際的な孤立は免れません。 他国の良さも認め、共存共栄していく以外、わが国の生きる道はないのです」 死の渕から見据えた社会の深い病巣。そこから発信された魂を揺さぶる警鐘は、在日社会のわれわれも、ハンセン病問題のときと同様、病者に対して「寄り添ってきたか、共に生きてきたか」をも深く問うている。(批評社、1800円+税、TEL 03・3813・6344)(朴日粉記者)=おわり [朝鮮新報 2007.8.31] |