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〈朝鮮の風物−その原風景 −2−〉 ウォンドゥマク(園頭幕)

夏彩る農村の手軽な避暑法

 朝鮮では古くから、濯足、流頭、背沐などで夏の暑さを凌いだといわれる。濯足は水に足を浸して涼を得る方法で、「東国歳時記」にもその記録がみえる。流頭、背沐は、文字通り髪や背中に水を流して熱を逃す方法として、民間で広くおこなわれた手軽な避暑法だ。

 だが、それに優るとも劣らぬ、避暑法がある。ウォンドゥマクである。

 ウォンドゥマクの「ウォンドゥ」(園頭)とは、スイカ、マクワウリ、カボチャや、キュウリなど、ウリ科に属するツタ性の果実の総称で、「マク」(幕)は仮小屋のこと。つまりスイカ、マクワウリ畑に建てられた番小屋のことである。

 そういえば、かつては朝鮮の農村地帯ならどこででもよく見られたなじみ深い建物で、農村をイメージさせる代表的風物の一つである。檀園・金弘道の作品はじめ、中世の風俗画などにも多く描かれている。

 ウォンドゥマクは果実畑の見張り台として建てられたものであるが、それが避暑の場としても愛用されるのは、この仮小屋がスイカ、マクワウリの熟す真夏と時期的に重なる形で運用されることと、高床式という構造的特徴から涼を得るに適しているからだ。たしかにウォンドゥマクは、地面数bの高さに床面を設けるため、地表熱の影響を受けにくいうえ、風通しもよいので、日照さえ遮れば想像以上の涼を得ることができる。

 農村を故郷に持つ多くの人に夏の思い出をたずねると、その多くが愛着を込めてウォンドゥマクについて語る。それによるとウォンドゥマクは、暑さを凌ぐ避暑処の役割以外にも、仕事に疲れた農夫が一服つけてほっと一息いれる休息の場として、親しい村人らが寄り合い酒酌み交わす語らいの場としても活用された。また、村の老人が夏の午後の暑さを避けて朝鮮将棋に興じるくつろぎの場、時に通りすがりの人がにわか雨を逃れて飛びこむ雨宿りの場としても提供された。

 わんぱくどもにとってこのウォンドゥマクは、仲良しと夏休みの宿題を解きあったり、川遊びや魚とりで疲れた午後、蝉しぐれを子守唄に昼寝を決めこむ場であったり、夜空をみあげて星を数え、宇宙の神秘に想像の羽をはばたかせる空間でもあった。さらに、幼い孫たちが果実畑の見張り番のハラボジにせがんで昔話を聞くのも、このウォンドゥマクであった。

 すなわちウォンドゥマクは、人々の生活に欠くことのできない生活の一部であり、夏の風物詩なのである。人々がそれに深い愛着をよせるのは、ウォンドゥマクが農民の生活と切り離すことのできない存在として人々の心のなかに深く根を下ろしているからにほかならない。

 ところで、スイカやマクワウリを栽培する農家の悩みの一つは、タヌキ、アナグマなどの小動物や、夜陰にまぎれて果実を失敬する不届き者などの「招かざる客」である。なかでも手を焼くのが冒険気分で畑荒らしにやってくる村のわんぱくどもの「悪戯」であろう。

 子どもたちは果実を食べることよりも、むしろ「獲る」スリルを求めて忍び込んでくる。こうした「悪戯」に遭遇したとき、ウォンドゥマクの見張人は大きな「咳払い」を放って暗に退散をうながしたりもする。筆者ならずとも、世の大人なら誰しも似たような少年期の体験を持っていよう。

 魯迅の小説「村芝居」にも、村芝居見物の帰り道、友だちと畑からそら豆を失敬し、煮て食べる話がある。そして「あれから今日まで、あの晩のようなうまい豆を食べたことがない」と小説を結んでいる。

 畑荒らしの「悪戯」は決してほめることはできない。しかし社会も人も、今とは違いゆったりとした時間の流れの中で、大らかに生きていた時代のあったことをあらあためて私たちは思い返す。

 最近、そのウォンドゥマクも農村から急速に姿を消していると聞く。それは時代の変化のせいでもあるが、昨今果実畑がビニールハウス化していることとも関連する。冒険好きのわんぱくどもも「悪戯」の対象を一つ失った格好だ。

 時代とともに、朝鮮の夏を彩る風物詩がまた一つ消え去ろうとしている。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2007.9.1]