〈本の紹介〉 青き闘球部 東京朝鮮高校ラグビー部の目指すノーサイド |
楕円球で結ばれた熱い友情 本書の帯には「朝高ラグビー部には魂がある。それは日本人が忘れてしまったものだ」(竹内伸光・国学院久我山高校ラグビー部監督)の言葉が添えられている。 立ちはだかる差別や困難を乗り越えようとするハングリー精神は、いまも脈々と在日朝鮮人の若い世代に受け継がれている。本書のテーマ、「東京朝高ラグビー部」の歴史もまた、熱き「闘魂」抜きには考えられない。涙と汗…、ラグビー部の歴史に刻まれた若者たちの苦闘の足跡は、多くの読者の心に感動の嵐を巻き起こすに違いない。 本書には個性豊かな指導者や生徒たちが登場する。しかし、彼らは決してヒーローたちではない。長い間東京朝高にあっては、あくまでもサッカー部が花形であって、「ラグビー部」はその陰の目立たない存在であった。だからこそ、彼らは歯を食いしばって、反骨精神を持ち続けてきたのであろう。 かつて70年代。東京朝高にラグビー部が産声をあげた頃、彼らは日本の学校のどこからも相手にされなかった。サッカー部がすでに「幻の強豪」などと異名をとっていたのとは大きな違いがある。生まれたばかりの弱小チーム。しかも、日本人にとって、朝高は危険で恐ろしい「腫れ物」だった。一方、朝高の生徒たちから見れば、理不尽な差別を押しつけてくる日本社会。両者の間にはあまりにも深い溝が横たわっていた。 それでも、ほんの偶然から朝・日の交流は始まり、身体と身体をぶつけあい、互いに互いの痛みを知ることによって、少しずつ相手を知り始めた。隣接する東京家政大学の教員を務めるある青年が、破れた金網を潜り抜けて東京朝高ラグビーのコーチを志願した秘話は感動的。やがてめきめき強くなっていく朝高生。その間の人間臭いエピソードに泣かされる。そして、94年、朝高の高体連参加が認められた。う余曲折を経て、長い間、閉ざされていた重い扉がついに開いたのだ。 日本のラグビー部関係者たちの努力も並大抵ではなかった。同じ花園という夢を持って汗を流す朝高生たちを受け入れ、練習試合の相手をしてくれて、あらゆる支援を惜しまなかった花園常連校・目黒学院の幡鎌監督、ライバル校・東京高校の森監督、近隣の帝京高校の嶋崎監督、常勝・国学院久我山高校の竹内監督…枚挙にいとまがない。 ひとつの楕円球を共に追い続けて結ばれた深い友情と温かい交流の輪。本書は差別や偏見、誤解や争いを打ち壊すパワーと勇気に満ちたスポーツマン、いや、人間の物語である。(李淳馹著、ポット出版、1900円+税、TEL 03・3478・1774)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2007.9.1] |