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西宮・甲陽園地下壕 語り部の20年を振り返って(上)

刻まれた文字 平和へのメッセージ

地下壕に刻まれた「縁の春」の文字

 西宮・甲陽園地下壕は1987年11月に歴史研究家の故鄭鴻泳氏が発見されて、今年でちょうど20年になります。

 地元に住んでいる関係で、語り部を引き受け今日に至っております。その間、約130回、約5500人の見学者を壕内へ案内してきました。

 約85%が日本の国家、地方公務員をはじめ、大学の先生、研究グループの学生たちです。

 1994年10月、元衆議院議長・土井たか子先生も現職時代に当時の西宮市長、県会議員らと共に訪れました。国外からも米国、ドイツ、ロシア、南朝鮮、中国、朝鮮民主主義人民共和国など多くの地質学者、歴史研究家が訪ねております。

甲陽園地下壕4号に入った所(2002年8月24日)

 地下壕建設工事は大阪海軍警備府所属の下で、当時日本を代表するトンネル工事の大手、大林組、西松組、鴻池組、奥村組、飛鳥組が分担して請負い、朝鮮の若者約600人、台湾の若者約200人、日本の労働青年約400人を使い、1945年1月より日本の敗戦前日の8月14日まで強制連行で牛馬の如く最悪の条件下で、連日連夜従事してきました(当時の現場監督の証言、資料あり)。

 日本全国には、大小あわせて2805カ所の戦時秘密地下工場がありますが、壕内に「朝鮮国独立」「緑の春」の文字が残っているのはここだけです。半世紀を10余年を過ぎた現在も、うっすらと読み取れます。

 発見された当時は、鮮明に残り、NHKをはじめとする各報道機関が争うがごとく取材に来たものです。それだけに戦争の傷跡と平和の尊さを物語る、とても貴重な歴史の証言者と言えましょう。だから私たちは保存を強く要請しています。今なおトンネルを訪れる人は後を絶ちません。無言で眠るこの文字は今に残る平和への教科書です。

日本の教員、学生らと地下壕の勉強会(2002年8月26日)

 祖国を離れ親と妻子とも別れ、強制連行されトンネル掘削に従事した朝鮮の若者が、恨の地、この甲陽園の地下壕を出る時、万感胸にしたためた「朝鮮独立」「緑の春」の文字は、誰が書き残したかは定かではありませんが、日本人や中国人が書かなかったことだけは確かです。これで愛しい親兄弟、妻子に逢える熱い思いを壁に残した若者たちは、今どうしているのかと気になります。そして祖国統一を見ずしてこの世を去った人たちも多いと思います。祖国解放と統一をリンクした「朝鮮独立」、希望と勇気を心に誓った「緑の春」の文字。「緑」は天と地を明るくし、人の眼を光り輝かせる色とされています。今、真夏まさに天地は「緑」一色です。この短文が当時の朝鮮青年たちの目に触れることを願うものです。私も20歳で朝鮮の解放を迎えましたので。

 秘密地下壕の工事で、ダイナマイトの事故で死んだ朝鮮人4人の記載が西宮の市営火葬場の火葬認可証にあります。朝鮮人強制連行調査団が何度問い合わせても、遺骨がどこに埋葬してあるのか、身内の誰が引き取ったのか、何一つわかっていません。はっきりするまで調査し続けていきます。当時の満池谷墓地に保管されていた火葬認可証の写真と、4人の名前が記載されている火葬認可証のコピーが手元にあります。(徐元洙、「西宮・甲陽園の地下壕を記録し保存する会」朝鮮人側代表)

[朝鮮新報 2007.9.3]