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〈本の紹介〉 制裁論を超えて−朝鮮半島と日本の〈平和〉を紡ぐ

日本の二重基準を厳しく問う

 日本人、あるいはこの社会にとって「北朝鮮問題」という特異な「場」が存在する。それは、「凍てつくような憎悪、嫌悪、不信と大いなる無関心、重い沈黙、判断停止、戸惑いが混ざり合い、日本人すべてを当事者として巻き込み、主役を演じさせる二重基準の〈場〉」である。

 元来、政治は二重基準に満ちているが、日本ではその矛盾が朝鮮をめぐる情報や言説に集約的に表れる。

 朝鮮に対する激しいバッシング報道、言説が日本社会を席巻し、制裁が声高に叫ばれ、憎悪に満ちた攻撃の矛先は在日朝鮮人にも向けられる。そこにはすでに合理的思考や理性の入り込む余地すらない。

 本書は、このような異常きわまる状況を生む根本原因としての日本の二重基準を厳しく問い質し、「北朝鮮問題」の正しい解明と解決に向けて4人の日本人と3人のコリアンが示唆に富んだ問題提起を行っている。

 編著を担当した中野憲志氏は序文「国家の論理から離れて〈北朝鮮問題〉を考える」で、この「政治の二重基準」の矛盾を質すうえでとりわけ核と拉致の問題を歴史の文脈に置きなおす必要性を説くとともに、朝・日国交正常化を阻んでいるのは誰かを検証している。

 また、第5章「安保を無みし、〈平和〉を紡ぐ」では、日本は「奇妙な国」であるとしながら、条約と体制という二重性を帯びた「安保」こそがこんにちの奇妙な日本の「国のかたち」・体制を形作り、「戦後民主主義」を虚構たらしめた元凶であるということを喝破している。そして、この(イデオロギーと体制としての)安保をひたすら「無み(否定、無力化)することこそが、おしなべて日本が選択すべき道であることを鋭い眼目と熱情を込めて説いている。

 「〈われわれ〉にとってそれは、永遠につづく挑戦であり闘争である」と中野氏は言う。

 「植民地主義の克服と〈多文化共生〉論」(藤岡恵美子氏)は、日本の異様な対朝鮮認識と対応の根源には日本の抜きがたい植民地主義があり、その克服なしには、「北朝鮮問題」の解決も、そして、いまもてはやされている「多文化共生社会」の真の実現もありえないことを論証している。

 「制裁ではなく、協力を」(越田清和氏)は、戦後日本の政府開発援助(ODA)の歴史と北朝鮮バッシングの背景を指摘しつつ 「民衆による国際協力=民際協力」の必要性を実践に基づいて説いている。

 「未来に向けての過去−私にとっての北朝鮮核問題」(Lee Heeja氏)は、在日の立場から核問題を中心に政治家やメディアをはじめとする日本社会の異常な反応を自分の問題であるという「当事者性」の欠如、日本と朝鮮半島の未決算の歴史の忘却にあることを突いている。

 そのほか、相手の立場に立って考える「内在的接近」や「北のイメージを南を通じて客観化」するアプローチ、人道支援、交流のあり方の提唱など、貴重な論考が収録されている。「制裁論」を新しい次元で超えることの重要さを訴えた良書。(中野憲志編、2600円+税、新評社、TEL 03・3202・7391)(崔鐘旭 ジャーナリスト)

[朝鮮新報 2007.9.8]