〈本の紹介〉 子どもの本に描かれたアジア・太平洋−近・現代につくられたイメージ |
近代日本児童文学への問責 日本はかつて、ありとあらゆるメディア、芸術、生活用品の数々にいたるまで軍事色に染められた。それらは子どもの世界にも広がった。 本書は、19世紀末から20世紀半ばまでの時期に、子どもの本を通して、「アジア・太平洋観とイメージ化」がどのように図られてきたのかを検証したものである。 日本は近代において、いつも見習うべきモデルは欧米であり、アジア・太平洋地域の人々を見下してきた。日本はこの地域で政治的、軍事的、経済的に勢力を拡大するうえで、教育やメディアを通じて常に日本文化の優位性を誇示する手段をとった。 本書の第1章「巌谷小波の朝鮮観・中国観」の1項目では、日本の明治期の児童文学・児童文化を代表する存在である巌谷小波(1870〜1933)が、1910年8月、自分が主筆(編集長)を務める雑誌「少年世界」(博文館)の同年10月号に執筆した「朝鮮の合併と少年の覚悟」という論説を取り上げている。 この10月号の扉には、「日韓併合記念」と記され、朝鮮服を着た少年(朝吉と記されている)と、朝吉の肩を抱くようにした和服姿の少年(日出男と記されている)が描かれている。 そこにはふたりのセリフも添えられていて、日出男は「君はもう僕の家の子になったんだよ」と言い、朝吉は「あゞ、もっと早く来ればよかったねえ」と答えて(答えさせられて)いる。 この子どもの問答には朝鮮を植民地支配するうえで、いかに日本帝国主義が虚偽に満ちた宣伝を行ったかが端的に表れている。 小波は、同論説で次のように呼びかけている。 「諸君わもはや日本人である。よし其風俗風習わ、暫く在来の型を免れ得ずとも、僕等の目には平等に、内地の諸君等と、毫も隔を置かぬのである。僕等は飽くまでも諸君と共に、新空気を吸い、新知識を蓄え、新日本の未来の為に、ますます福利を謀ろうと思う。それにわ第一に、相互の意志の疎通を要する。意志の疎通を謀る為に、言語と文学の劃一を要する。一日もはやく日本語を覚えれば、それ丈はやく新空気が吸われる。一字も多く日本字を知れば、それ丈多く新知識が得られる。そして見事日本の新国民となり得れば、其幸福わ昨日に比して、実に雲泥の差どころでわ無い。来たれ可憐のチョンガー諸君! 僕等わ諸君を迎えん為に、両手を揚げて居るのである」 朝鮮語や朝鮮文学を徹底的に否定しようとした醜悪で巧妙な狙いが露骨に込められている。 本書ではこの他にも、中国、台湾、インドおよび太平洋諸国が、子どもの本の中でどのように取り上げてこられたのかを豊富な資料を元に掘り下げている。 日本の近代児童文学が侵略戦争にいかに関わってきたのか。敗戦後、それについて厳しい反省がなされたのか。本書は「従軍慰安婦」問題など、過去からの厳しい問責に直面する日本へのもう一つの問いでもある。(長谷川潮著、2800円+税、梨の木舎、TEL 03・3291・8229)(金潤順記者) [朝鮮新報 2007.9.8] |