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西宮・甲陽園地下壕 語り部の20年を振り返って(下)

忘れられぬハルモニの涙

 とくに20年間地下壕を案内して、生涯忘れることのできない感動の一日がありました。

 1998年8月2日のことです。朝鮮からのいわゆる「従軍慰安婦」のハルモニ、李京生さん(当時82歳)一行を案内しました。今も脳裏に焼きついています。ハルモニが現地を訪れた時、女性だけの辱めだけでなく同年輩の若者までが牛馬に劣らぬ死線を彷徨う過酷な重労働に従事させられた現場を見て、壁に身体を引き寄せて過去の同胞たちの苦難の途に想いを馳せて「アイゴー、アイゴー」と号泣したのを見た私は、胸が圧迫されるほど感動を覚え思わずもらい泣きをしたものです。それから4年後、当時撮った写真を渡そうと朝鮮を訪問した時、「残念ながら2年前に84歳で亡くなりました」と聞いた時の悲しさをどうすることもできませんでした。その写真も地下壕の記録と共に手元に保存しております。

 今日まで1件の事故もなく壕内を見学できたのに、ちょうど3年前の8月、突如として諸般の事情(?)により許可が中止になりました。その間、南の政府機関、新聞社の要請により特例として1回案内しただけです。その時のもようは南の新聞やテレビで報道されました。

 中断されていた地下壕見学は、今年7月20〜21日、市当局が3年毎に現地調査するのにタイミングを合わせて再開され、2日で約50人の研究グループ、同胞たちを案内して今日に至っています。目につくほどの変化、異常のなかったことが幸いでした。

 歴史の証言者、百万言に勝るダイナマイトの穴、ペンは銃より強く、鉄砲では平和を築けないことを世人に訴えているこの甲陽園地下壕の保存に、国、地方が責任のなすり合いをすることなく、過去のゆがんだ歴史を清算するためにも、責任ある施策を取るべきだと訴え拙い一文を書き上げました。

 最後になりましたが、永年、この事業にご指導くださった市当局と、保存会の諸先生方に深甚なる謝意を表します。(徐元洙、「西宮・甲陽園の地下壕を記録し保存する会」朝鮮人側代表)

[朝鮮新報 2007.9.8]