「南北コリアと日本のともだち展」 筒井由紀子・KOREAこどもキャンペーン事務局長に聞く |
朝鮮と日本つなぐ架け橋に
8月18日から25日まで谷山博史・日本国際ボランティアセンター代表を団長とする日本側関係者と共に、「南北コリアと日本のともだち展」に参加した6人の東京都内と西東京の朝鮮初級学校6年生と教員たちが朝鮮を訪問。平壌市内の綾羅小学校と長慶小学校の児童たちと交流した。 ともだち展は、北・南・在日コリアンの子どもたちと日本の子どもたちがお互いの絵を鑑賞しあい、直接出会うことによって、1人でも多くが「ともだち」になることを目指している。01年から始まり、これまで東京、ソウル、平壌ほか、日本各地で巡回展も行ってきた。 今年、日本では6月28日から7月4日まで東京都児童会館で開かれ、綾羅小学校と長慶小学校の児童らが描いた約60点の絵が展示された。 一方、平壌展は「対日感情の悪化」によりやむなく中止された。筒井由紀子・KOREAこどもキャンペーン事務局長に話を聞いた。 厳しい世論
「朝鮮でも日本の武装警官が総連の若者たちを弾圧する強制捜索の映像が流された。現地に行って、向こうもこちらも言わば同じような状況なのだと思った。こちら側では、一般の人たちは『朝鮮危険』『総連怖い』とのイメージを持ち、向こうでは『朝鮮の若者たちを足蹴にする憎い日本』と捉えている」 そんな厳しい状況の中、日本との交流は自粛せざるをえなくなったというのが平壌展中止の背景にある。 筒井さんは、「朝鮮には朝鮮の世論があり、厳しい反日感情の中、精一杯やってくれていると思う」と話す。平壌展はやむなく中止となったが、朝鮮学校の子どもたちが平壌市内の小学校を訪れると、児童たちから熱烈な歓迎を受けた。そして、朝鮮学校の子どもたちが朝鮮語で東京展の報告をしてくれた。朝鮮の子どもたちは真剣なまなざしを向けていた。 楽しい共同作業
長慶小学校では美術部の児童らと共に、来年のともだち展のタイトルを紙粘土で制作した。 白い粘土に絵の具で色をつけて柔らかくなるまで手でこねる。朝鮮の文字で「南北コリアと日本のともだち展」と形作る児童たち。 「その様子がとても楽しそうだった。一生懸命手でこねて、こねて。きれいに色づいた粘土で文字を作ったあと、ある朝鮮の子どもが余った粘土を細長く伸ばして自分の眉毛の上にくっつけた。すると、他の子たちもおもしろがって、メガネを作ってかけてみたり、自分が描いたかわいらしい女の子の絵にそのメガネをつけてみたり。すっごくお茶目でかわいかった」 筒井さんと訪問先の学校の先生たちとは数年来の付き合い。「先生たちは、私がスイカが好きだということを覚えていてくれて、交流会の際にスイカを振る舞ってくれた。今、日本と朝鮮の関係は非常に厳しい状態だけど、そんな中でも朝鮮の関係者の方々の温かい心遣いがうれしかった」と語った。 暴雨の爪あと
朝鮮では8月中旬、断続的な暴雨が降り続き、全国的に甚大な被害に襲われた。 「私たちが平壌に着いた時には目立った水害の様子は見当たらなかった。しかし、街中をよく見ると、至る所で道路のブロックが盛り上がっていたり、人々の会話には常に修復作業の話題が上るなど、注意を傾ければその様子をかいま見ることができた」 筒井さんは、国際赤十字連盟平壌代表部や朝鮮赤十字会、WFP(国連世界食糧計画)、本紙朝鮮新報平壌支局などを通じて得た水害状況を、映像を交えて同じ平壌ホテルに宿泊していた朝鮮学校の児童らに伝えた。 「犠牲者および倒壊家屋の数の多さに子どもたちは驚きを隠せない様子だった。朝鮮学校の児童たちは、今回朝鮮の至る所で熱烈な歓迎を受けたが、彼女らを温かく迎え、励ましてくれる朝鮮の人々が実は大変な状況にある中で迎えてくれていることを知り、深く感動、感謝している様子だった」 暴雨の際、朝鮮の至るところで河川があふれ、断水、停電が続いたという。筒井さんらは01年、太陽光発電設置を支援した平壌市郊外の択岩協同農場を訪問した。現地では暴雨による停電の真っ暗闇の中、太陽光発電を設置した施設のみに明かりがともり、人々の心に安らぎを与えてくれたと聞き、とてもうれしかったという。 「今回の水害は局地的なものではなく、全国的なものだという。今なお被害の全容はわかっておらず、これから秋の収穫を控え、深刻な食糧事情を思うと心が痛む。国際社会も次々と支援を表明している。支援物資を日本から送れないのは大きな問題だ。日本政府は朝鮮への制裁を一日も早く解き、船舶で支援物資を送れるようにすべき」と語った。 ともだち展は14日からソウルで開催される予定。(文=金潤順、写真=盧琴順記者) [朝鮮新報 2007.9.12] |