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〈朝鮮と日本の詩人-36-〉 浅尾忠男

独裁政治への怒りの抵抗詩

 五人の男たちが/うしろ手に縛られ/数珠つなぎになっている/街角のデモの現場で逮捕され/警察へ連行されたときもこうだった/あるいは警察から/拘置所へ/軍法会議の法廷へむかうときもそうだ/顔をなかば伏せているもの/胸の肉が剥げおち/腹のあたりがへこんでいるもの/だが うなだれているもの/許しを乞うて膝をおりまげようとするものはいない/みな いちように/縛りあげられたまま棍棒で滅多打ちされ/はれあがった背中を/真っすぐにのばそうとして身をもがく/にばいの太さにふくれあがった足で/なお大地をしっかりと踏みつけているもの/数日まえまで血尿のとまらなかったもの/ななめ前方をみつめ/うすくなった胸板をそらし/両足をわずかにひらいて深呼吸をする/いま男たちの列の/まえとうしろに看守が見張っているが/拘置所や刑務所のなかで拷問やテロを加えているのは看守ではない/所内の凶悪犯なのだ/大田の刑務所でも/光州の刑務所でも/どれだけおおくの政治犯に転向書をかかせるかの競争中だ(以下最終行までの17行略)

 朴正煕の独裁政治の強風が吹き荒れていた時代の、民主化運動を象徴的にとらえた怒りの抵抗詩「減刑のからくり」である。5行目と8行目の「〜こうだった」「〜そうだ」は一種のリフレインの手法であり、2行目と3行目のむごい仕打ちに現実味を与えている。学生だと思われる民主化運動の闘士たちの、拷問に耐え抜く不屈の意志と毅然たる勇姿を、11行目と12行目に、巧みな表現で刻み込んでいる。「所内の凶悪犯」を使って政治犯を拷問する悪虐な手法を暴露して南朝鮮の獄舎内の実状をえぐり出した。

 浅尾忠男は1932年に大阪府堺市に生まれ、進歩的詩人の集まりである「詩人会議」の重鎮。日本民主主義文学同盟に属し、政治的、社会的問題をテーマにした作品を多く書いている。30年代のプロレタリア詩人たちの後継者だということができる。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.9.12]