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〈同胞美術案内E〉 宋英玉 鏡の中で凍り付く魂描く

無残に引き裂かれた人物を象徴

「三面鏡」 1976年 132×111(センチ) 光州市立美術館

 古今東西の絵画作品には「鏡」が多く登場する。鏡の前で髪を結い上げる女性を描いた作品をはじめ、自画像の制作では鏡が用いられるだけでなく、しばしばその鏡自体がキャンバスに描かれることもある。さまざまな効果をもたらす「鏡」であるが、今回の作品「三面鏡」ではそれがどのように使われ、どのように表現されているのだろうか。そしてこの作品の前でなにを感じ取るべきなのであろうか。

 画面下4分の1ほどを空け、大きな三面鏡が掛けられている。装飾ひとつない簡素な鏡。薄手の台が手前にせり出し、その下にうっすらと影ができる。鏡は画面左右いっぱいに描かれている。そのことによって、この鏡がどこにあるのかといった疑問をこの作品が投げかけることはない。この鏡が掛けられた場所やその壁が重要なのではなく、ここに鏡があること自体に意味があるのだ。描かれた鏡。鑑賞者はこの鏡に注目し、そこに映し出された対象を注視することとなる。

 そこにはこげ茶色をした人物が一人映っている。頭髪がなく、開かれた目には奇妙にも目の球が描かれていない。ややあごを上げ、憔悴しきった様子であり、鏡というよりもむしろ氷の中で凍ってしまったかのようである。人物の肩越しには骨張った手がのぞく。

 作品には鏡と映し出された人物のほかには何も描かれていない。そこはきわめて限られた空間である。しかし鏡によって作品には無限の奥行きが生じ、こげ茶色一色の人物はうしろから翡翠色のバックライトを浴びる。縦長の鏡に対し横に流れる青緑の帯。無機質な茶色と静かに輝く翡翠色が共鳴する。

「女の手品師」 1960年 60.0×72.8(センチ) 光州市立美術館

 魂を抜きとられたように硬直する人物。見開いた目はどこを向くのか判然としない。ただこうこうとした光が画面をかろうじて明るくしている。

 このように鏡とそこに写された人物にしばし目を奪われるのであるが、実際に三面鏡の前に立ったことを想像すると、人物がこのようには映らないことは容易に判断できるであろう。実世界では三面鏡の前に人が立った場合、左右両側の鏡に映った人の横顔は中央に向かうのである。しかしこの作品では両側に映った人が中央を向かず、それぞれが別の方向を向いている。

 このトリックが意味するものは何であろう。無残にも引き裂かれたある人物、もしくはある物を象徴しているのか。北南の祖国と在日という3つに分裂したアイデンティティの表象であろう。

 作者は宋英玉(1911〜1999)。済州島で生まれ小学生のころ渡日。自由美術協会に参加したほか、在日朝鮮人美術家協会に属し、関西で主に活躍した。50年代より東京に活動拠点を移す。広島原爆、光州事件など社会的、民族的主題を扱った。作品の多くは光州市立美術館に寄贈され保管されている。在日朝鮮人1世の画家である。

 【訂正】連載5回(8月20日号)に掲載した参考作品「カンナニの埋葬」の制作年を1950年ごろと記しましたが、作者の晩年の作であると考えられます。

 (白凛、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻)

 ※本コーナーでは、在日朝鮮人美術家に関する情報をお待ちしております。〒112−8603 東京都文京区白山4−33−14 朝鮮新報社文化部「同胞美術案内」係。

[朝鮮新報 2007.9.15]