〈本の紹介〉 「朝鮮史−その発展」を読む |
ユニークな個性と活気溢れる民衆史、近代の内在的発展阻害したのは日本 梶村秀樹(1935〜1989年)、やや年をとった在日同胞にとってはなつかしい名前である。彼は、旗田巍教授など、良心的な第一世代の日本の朝鮮史研究者の後を継いで、戦後育ちの第二世代の朝鮮史研究者として最前線に立ち、研究活動や執筆活動に活躍するとともに、研究活動を犠牲にしてさえ、在日朝鮮人の権利の擁護のために奮闘し、力尽きて早世したのである。 彼は、それぞれの民族の自主的な主体性を尊重する歴史学者の立場から、この本の序文で明確に次のように言っている。 「朝鮮民族には、中国とも日本とも異なる、独自の文化伝統があり、しばしば容易ならぬ外圧に触れながらも、貫かれてきた力強い社会発展史がある。そして、その発展を基底で支えてきたのは、単なる英雄的指導者の力ではなく、ユニークな個性と活気に満ちた人間性をもって、日々を生き続けてきた朝鮮民衆総体である。私たちは、このように見えてきた新しい朝鮮史像を、従来の他律的な朝鮮史像と対比して、内在的発展の朝鮮史像と名付けた。とくに、近代百年間そうした発展を阻害、わい曲せんとして、外圧を加え続けてきたのはほかならぬ日本であるが、これに抗して持ちこたえてきた個々人の生活史の総和である朝鮮民衆史には、密度の濃い想いがぎっしりと詰まっており、私たちをうつ迫力がある」 在日朝鮮人と深く関わって
日本の御用学者が、明治以来、執ように繰り返してきたのは「朝鮮は昔より大国に挟まれて、常にその影響を受け、独自に自らの歴史を築けなかった国で、日本の植民地になる必然的な理由があったのだ…」などの妄言である。 これに対するこの本の特徴として、まず第一に挙げねばならないのは、著者は、永年の研究を踏まえ、かつ自らが学んだ教師や先輩の主張に反して「朝鮮史の内在的発展」を論証するため、自分の言葉でもって大膽に筆を進めていることである。 第二に、著者は在日朝鮮人の権利擁護の実践に関わり、多くの在日朝鮮人と深い信頼関係を結び、その実践と心情を理解することができた。そういう人によって執筆された朝鮮史であること。 第三に、進歩的史観に立つ、朝鮮近・現代史の専門家(著者)による叙述であること。 とくに全琫準が指導した甲午農民戦争の項は、朝鮮近代史における、反封建、反侵略の画期的な大事件を、簡潔な文章による的確な叙述によって描き、日清戦争に伴う、日本軍の朝鮮人民に対する犯罪行為を厳しく糾弾している。いまだに日清戦争の陰に隠れて、日本軍が3万とも20万とも言われる朝鮮農民軍を虐殺した事実を知る日本国民はほとんどいないのである。 4章と5章は、日本による植民地化の過程と、その体制下のもとでも3.1独立運動、国内の農民運動、社会主義運動、抗日パルチザン闘争などと、絶えることのない闘争が展開され、ついに解放を迎えたことが述べられる。 第6章は8.15解放とその後の30年、南北の分断と朝鮮戦争が簡潔に要約されながら、とくに在日朝鮮人の問題、民族教育への弾圧が憂慮をもって述べられている。 人民の苦難とその闘いへの共感 単行本としての朝鮮史は、実はここで終わるのであるが、第6章の部分は、U部として、第7章から10章にかけて、さらに詳しく再説されるのである。 やや具体的に見ると、第7章は、解放後の民衆の闘い。民衆の期待を踏みにじった米軍政と、南北の情勢。8章は、朝鮮戦争。簡潔な経過とともに重要なことは、巨大な朝鮮民衆の犠牲に反して、日本独占資本にとっては、起死回生の契機となったこと。日本の存在がなければ、米軍の朝鮮での戦争は、不可能であったことが分析されている。 朝鮮人民にとっても、この戦争により南北の分断は、さらに固定化されてしまった。 第9章、分断の中で。第10章、平和統一への胎動、へと朝鮮人民の苦難の歩みが続けられる。 著者は、朝鮮近、現代史の専門家として、多様な情報源からの資料を基に、人民のうち重なる苦難と、それからの回復、平和統一への様々な闘いを生き生きと描き出している。 大きな歴史的な結節点となる多様な事象が、4〜5ページおの的確柔軟な叙述により、息もつがず、次から次へと展開し、現代朝鮮の基礎的理解を深めてくれるのである。現代日本に住む同胞だけでなく、広範な日本人にも強烈な問題提起を投げかける書物として一読を勧めたい。(梶村秀樹著、明石書店、3800円+税、TEL 03・5818・1171)(金哲央、朝鮮大学校元教授) [朝鮮新報 2007.9.22] |