〈本の紹介〉 自由に考え、自由に学ぶ 山川菊栄の生涯 |
自国中心主義に警戒の目を 日本の女性運動にはじめて科学を持ち込み、その多くの評論集は、日本における女性解放運動の思想的原点と評されている山川菊栄(1890年〜1980年)。 本書は抑圧と暴虐の嵐が吹き荒れた時代に、自由と平等、解放、平和な社会を求めて生きてきた菊栄の生涯をたどったもので、大きな感銘を受ける読み物となっている。 菊栄は若い頃から、女性解放運動と労働者解放運動の結合をめざし、性的、階級的、民族的抑圧を撤廃し、差別のない社会づくりに精力を注いできた。また、日本の植民地支配下にあって、過酷な差別と抑圧と搾取を受けてきた朝鮮、台湾や、日本はじめ欧米列強の侵略で苦しんでいる中国などの人々との連帯への道をさぐり、まず日本民衆の民族的偏見の除去にも努めた。 1923年9月1日の関東大震災時に引き起こされた軍隊、警察、自警団、民衆による朝鮮人大虐殺。この未曽有の蛮行に、ほとんどの知識人が沈黙していたときにも、軍部の検閲を潜り抜けて抗議の声をあげたのが菊栄であった。 「かつてサンフランシスコ大震災(1906年)の際に、米国の軍隊と警官とは、これを排日と人種的偏見を表現する千載一遇の好機として、日本人の大屠殺を試みたことがあるだろうか。昨秋の大震災に際して、朝鮮人と労働者とが遭遇したような運命に、日本人は米国で遭遇しただろうか」(「人種的偏見・性的偏見・階級的偏見」、「雄弁」1924年6月号) さらに、菊栄は24年、朝鮮人虐殺を断行した官憲に対してだけでなく、民衆に対しても警告を発する一文を発表し、その残虐非道な行為を「偏狭なる愛国主義、封建的な尚武思想、排他的な島国根性!」だと非難した。 菊栄は、日本帝国主義による植民地支配、大陸への侵略戦争反対の声をあげながら、国内にあっては、民族差別、女性差別、階級差別を厳しく指弾してやまなかった。 平和と民主主義は連環しているというのが、菊栄の立場であった。戦争と専制が一体化して帝国主義国家が維持されてきたのが戦前、戦中の日本の姿であった。ひるがえって、現在の日本はどうか。「美しい国」を標榜するタカ派指導者の出現によって、憲法が危機にさらされ、教育基本法の改悪が実現、日米軍事再編成によって、日本は米軍と共に戦争を担う道をひたすら突き進んできた。 その風潮の中で、再び「流言蜚語」が繰り返されたら…。本書の著者は、日本民衆の朝鮮人や中国人に対する差別視、蔑視観を鋭く抉りながら、今も「拉致キャンペーン」などを通じて、排他的ナショナリズムに煽られる日本人の「自国中心主義」に警戒の目を向ける。 生涯を通じて、あらゆる偏見を正して、人間がみな平等に生存、生活できること、さらに民衆一人ひとりの自主、自由、自決、自治の精神を尊ぶことを主張し、実践した菊栄の思想に学ぶべきことは多い。(鈴木裕子著、労働大学、945円+税、TEL 03・3870・6307)(朴日粉記者) [朝鮮新報 2007.9.22] |