〈朝鮮と日本の詩人-37-〉 大津啓一 |
朝鮮侵略への憤怒と苦痛歌う 第二檻房前の けたたましい叫び声/小村看守 たださえかん高い声が/薄い髪毛の頭のてっぺんを付きぬけて 更にかん高く/交替して控室に入ったばかりの飛田看守/明治四年の お台場の砲弾のように/至近距離の二房へ飛んだ/引出されたのは誰か/野獣の飢えの前の獲物は誰/厚い壁板 厚い床板/厚い故に容赦なく激突 乱打/徐徳鎔の肉のすべてを槌として/唇の重く 格別の気負いを見せぬ飛田が/畳のない柔道場 ここ/引き分けの 声のかからぬまま/徐徳鎔の悲鳴 おれの眼の前で殺されるか/格子の角材 千人 万人の手で磨かれても/角は角 徐徳鎔の頭蓋の英知を砕くのか/荒れ狂う東北牛の飛田/藁蒲団のように徐徳鎔をふり廻す 叩きつける 北村よ 消灯時間まで口を利くな/係りのデカが ヤキを入れはしても/檻房内では 看守はめったに手は出さぬが 爪の深さではない/ガラスのかけらでもなさそうだ/取調べに呼びだされて 小刀を持ち出したのか/△△主義××絶対××/○○から手を引け/日本□□□万歳/第二檻房の北向きの壁板の背の高さに/彫りは深く 文字は大きく/虐殺の秤の台の上に立って/徐徳鎔の憤怒の炎/厚い壁に炸裂する火花/壁が厚ければ厚いほど烈しく 「壁の火花」の全文である。独房に監禁され拷問に耐える朝鮮人革命家に寄せる、日本人革命家・詩人の怒りと苦痛と同志的同情とがモチーフである。緊張感にみちており、巧みな比喩がプロレタリア詩にありがちな観念的な欠点をしりぞけている。拷問がいかに残虐であろうと、革命の信念を歪げない不屈の闘志が伏字にこめられており、最終の3行にみなぎっている。 大津啓一は、30年代に複数の朝鮮人同志とともにたたかったコミュニストで、当時の地下運動を主題にする全3部の詩集「匍匐群像」(77年)を上梓して、親しかった朝鮮人革命家を追悼した。詩人自身については詳細を知る資料がないが、資質豊かな詩人であることはこの詩を読めばわかるであろう。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2007.9.27] |