〈人物で見る朝鮮科学史−40〉 朝鮮王朝文化の幕開け(4) |
最も正確な東洋最古の世界地図
15世紀中頃〜17世紀中頃までのヨーロッパ人によるインド・アジア・アメリカなどの海外進出を大航海時代と呼ぶが、なかでも1492年のコロンブスによるアメリカ大陸の確認はよく知られている。ということは、それ以前の世界地図にはアメリカ大陸は描かれておらず、また、形状も実際のそれとはかなり異なることは容易に想像される。では当時、もっとも正確な地図は、どこの、どのような地図なのだろうか? それは、1402年に朝鮮で製作された「混一彊里歴代国都之図」である。 「混一」は世界、「彊里」は領域を意味するが、この地図は現在に伝わる東洋最古の世界地図であると同時に現存する最古の朝鮮地図でもある。残念ながらオリジナルは残っておらず、4部の模写本が日本の天理大学、龍谷大学、そして九州の本光寺、本妙寺に保管されている。なかでも龍谷大学所蔵本(横171センチ、幅164センチ)がもっとも完成度が高く、1480年から1543年の間に模写されたものが日本に持ち込まれたものと推測されている。 そして、これを再び模写したものが現在ソウル大奎章閣に保管されている。
この地図の特徴は当時の最新の地図を総合した点にあるが、事実、地図の下段にある権近の跋文には左議政・金士衡と右議政・李茂が発議し李薈が製作したと記すとともに、中国・元代の世界地図を参考として朝鮮半島および日本の地図を添加したとある。広大な領土を占めた元は、アラビアやヨーロッパ、アフリカの情報を得て、それを地図に反映させた。元の地図は残っていないが、それを基に1389年には「大明混一図」が製作されており、これが直接的には「混一彊里歴代国都之図」の底本となった。 次にこの地図の特徴は、日本が朝鮮半島の下に九州を上にして実際よりも小さく描かれていることである。 日本地図自体は1397年に通信官として日本を訪れた朴敦之が持ち帰った「行基図」を基にしているが、日本に残る行基図のなかには方位の指定はなく九州を上とするように字が縦書きされたものもあり、それが朝鮮に伝来したと考えられる。 さらに、この地図の特徴は朝鮮半島が大きく描かれていることであるが、それは新しい王朝の自信を示す。また、その形状も実際の地形と近く、それなりの朝鮮地図がすでに製作されていたことを窺がわせる。事実、「混一彊里歴代国都之図」の作成者である李薈は、それに先立って「八道地図」を完成させており、それがその地図と思われる。 「天象列次分野之図」が天に対するものならば、「混一彊里歴代国都之図」は地に対する知識を総合したもので、どちらも国家の威信をかけた、まさに朝鮮王朝文化の幕開けを告げるにふさわしい業績といえる。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授) [朝鮮新報 2007.9.29] |