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〈本の紹介〉 善隣友好のコリア史−朝鮮通信使と吉宗の時代

 今年は、朝鮮通信使来聘400年の記念すべき年である。「通信使」とは、「信−よしみ」を「通−かよわす」「使い」という意味。

 1607年から1811年におよぶ12回の朝鮮通信使の日本来聘は、江戸時代の朝・日関係を多彩にしたばかりでなく、朝鮮と日本の友好往来に画期的な成果をもたらした。本書は通信使の訪日エピソードを中心にまとめられていて、読みやすい。

 著者が通信使に興味を持ったのは、30数年前にさかのぼる。写真撮影をかねて日光に行ったときのこと。東照宮・陽明門の手前で「朝鮮鐘」を見つけたことから。「朝鮮通信使の銘の入った梵鐘が、なぜ、日光にあるのか、当時は全くわからなかった」が、著者はこれを契機に通信使についての調査を開始した。

 少ない時でも300人(第3次)、多い時には500人(第8次)にものぼったその使節団は、幕府・各藩、知識人のみならず民衆とも交流した。岡山県牛窓町の唐(韓)子踊り、三重県津市の唐(韓)人踊りなどは、そうした交流とそのすその広がりを如実に示すもので、数多くの通信使行列絵巻などもまた親善の証として貴重である。

 通信使に関する史料は、日本には膨大にあると言われている。「まさに宝の山」だと著者は指摘する。とくに著者が本書を書き上げるうえで大きな助けとなったのは、在日同胞の著名な研究者・故辛基秀さんの存在であった。辛さんが所蔵していた通信行列図や御楼船の写真などが、本書にも多数紹介され、読む人を引きつけてやまないだろう。

 歴史の現場を歩くことは、歴史ドキュメントの成否を占う決定的なカギとなる。その意味で著者が、通信使の出発点となるソウル・昌徳宮「仁政殿」、出港した釜山、日本上陸の最初の地・対馬、さらに通信使が立ち寄った広島県鞆ノ浦、岡山県牛窓、静岡県の清水興津などを訪ねて、貴重な文化交流の足跡を確認しているのは好ましい。まさに、今の視点でもう一度、当時を振り返る貴重な視座を開くからである。

 秀吉の朝鮮侵略の非道を清算し、朝・日関係の未来を開いた朝鮮通信使の平和外交の精神は、現代にも大きな示唆を与えてくれるはずである。(片野次雄著、彩流社、1900円+税)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2007.10.29]