東京芸大元教授、美術史家 若桑みどりさんを悼む |
「女性を見える存在に」」 あまりにも突然の訃報であった。一昨年はローマへ渡った天正少年使節をテーマにした「クアトロ・ラガッツィ」(集英社刊・大仏次郎賞受賞)を世に出し、死の直前まで16世紀のキリスト教美術についての博士論文執筆に心血を注いできた。憲法改悪などの動きに真っ向から反対し、講演にも走り回っていた。 昨年5月、都内で開かれた「憲法集会」での約1時間にわたる講演を聴いたことがあったが、わかりやすく、熱気にあふれ、聴衆がピクリともせず耳を傾けていたことを思い出す。
若桑さんは日本の新保守派の狙いを「憲法改悪とともに過去の戦争を美化し、軍事国家の復活を目論んでいる」と指摘したうえで、「戦時性暴力について自らの手で明らかにし、日本の責任を自ら裁こうとする歴史家や女性たちを攻撃し、威嚇するのは、再び、日本を、天皇をいただく軍事国家にするための確かな意志と戦略にもとづいているからだ」との胸のすくような批判を展開し、万雷の拍手を浴びた。 ジェンダー史学の立場で日本の近代の成り立ちを、あらゆる領域で問い直してきた。時代や歴史、文化や芸術についての紋切り型で退屈な権威主義や常識を打ち破る鮮やかな闘いぶりは際だっていた。御用学者の言説をバッサリ切り捨てるさっそうとした姿に、気持ちがすっきりした人たちも多かったことだろう。 拉致問題をテコにして反朝鮮キャンペーンを展開するメディアについても、本紙記者に「冷戦の中で起こった不幸なできごとを、きちんとした外交交渉で解決すべきだ。メディアあげての北朝鮮脅威論を追い風に、日本の再軍備と武装化に突き進む日本の国家主義の流れを断ち切るべきだ」と強調してやまなかった。 理不尽なこと、不公正なことに心底怒る人だった。 以前インタビューした折に、「日本における朝鮮蔑視観は現在にいたるまで、日本人の心の中に、ダイオキシンに汚染された土壌のように3〜4世紀を経てもおりのように沈殿したままである」と嘆いていた姿が忘れられない。 男社会で女性が闘い続ける場合のアドバイスを尋ねると、「ヘビのように賢く、羊のように清らかに」という答えが返ってきた。 若桑さんの情熱、エネルギッシュな行動力の源には、「社会において、歴史において、見えないものとなっている女性を、社会や歴史の中で見えるものにしたい」という強い欲求があった。若桑さんの独創性あふれる著書や活動をもっと見ていたかった。心から冥福を祈りたい。(P) [朝鮮新報 2007.11.2] |