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くらしの周辺−植物に教えられたこと

 妻と相談してわが家の殺風景な駐車スペースに花壇を作ることになった。DIYが得意な私は「まかせなさい」とばかりに図面を書き、ホームセンターへ通い詰め、必要な資材を買いそろえた。しかし主役である肝心の花木については何を植えるべきやらさっぱり見当がつかずに困り果てた。なぜなら、その種類や育て方の多様さなど植物の世界の奥深さに圧倒されたからである。

 「こりゃガーデニングにハマる人が出るわけだ」と妻と2人納得したのだが、その時から普段道を歩きながらも街路樹や庭木などをよく観察するようになった。おかげで少しは名前を言い当てられるくらいにはなったが、同時にもう一つとても大切な事を学んだ。それは植物にはどんなものにもそれぞれに美しい「見頃」が必ず巡って来るのであり、その「輝く瞬間」をベストな状態で迎えようとする日々の地道な努力が彼らの美しさを際立たせているのだという事実である。

 当り前の事だが一年中キレイに咲き続ける花など存在しない。すべての植物が機の満ちるのをじっと待ち、その時が来れば「自分なりの美しさ」を入れ替わり立ち替わりに精一杯アピールするのだ。つまり準備さえ怠らなければ焦らずとも「時節は到来する」のであって、ただそれが早いか遅いかの違いだけという事だ。そしてその準備とは華やかさの陰でひっそりとたたずんでいる「目立たない時期」にこそ行われているのである。

 「これってなんだか人生訓みたいだよな〜」と哲学的余韻に浸りながら隣を見ると妻が「やっぱりこっちにしようよ」と見たことも無い満開の花を指差していた。(慎栄根、朝鮮大学校教育学部助教授)

[朝鮮新報 2007.11.2]