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〈朝鮮と日本の詩人-41-〉 木島始

光州の民衆虐殺を糾弾

 貫徹する ソウルの預言者よ
 愚かしい 愚かしい
 不気味な武器が 目を覆おうとして
 大中を自由の身に 大中を自由の身に
 かれの自由なしに わたしたちすべてに自由はない
 壁つきさす 祈りよ
 目に見えずとも くりかえし溢れ
 愚かしい 愚かしい
 不気味な武器が 耳塞ごうとして
 芝河を自由の身に 芝河を自由の身に
 かれの自由なしに わたしたちすべてに自由はない

 この詩は「キド」と、朝鮮語で題されて、朝鮮語をカタカナで表して「日本語意訳」と添え書きしてつくられた詩の全文である。1980年11月7日、東京全電通会館ホールで、光州人民蜂起での民衆虐殺蛮行の糾弾と、金大中を始め民主人士の釈放を要求する大会で朗読されると同時に、高橋悠治の作曲で合唱された。

 当時、金大中と金芝河は民主化闘争の象徴的存在であったし、日本でもこの2人の釈放運動がくり広げられた。

 「−ソウルの予言者」が金大中たち民主人士であり、「不気味な武器」が、逮捕・拷問のメタファー(暗喩)であることは理解するに難くないであろう。「壁つきさす 祈りよ」の一行には鋭利な、研ぎすまされた抵抗の詩精神が青白く燃えている。

 5行目と最終行が力強いリフレインになっていて、自由というものの本質的要求性が明確にされており、捕われ人たちとの連帯意識が現実化されている。

 木島始は1928年に京都で生まれ、東大を卒業した。日本の戦後詩の一時代を画した詩誌「列島」(ちなみに在日の許南麒は「列島」の詩人であった)の創刊号編集委員を務め、同グループの中心的詩人として多くの作品を書いた。

 詩集は「木島始詩集」「パゴダの朝」「千の舌で」など20冊を越え、小説数篇と10余冊の評論集がある。

 詩「キド」は詩集「游星ひとつ」(1990年 筑摩書房刊)に収められている。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.11.5]