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朝・日作曲家対談 金学権さん×池辺晋一郎さん

歴史の真実「語り継ぐ」大切さ、過ちを二度と繰り返させないために

 作曲家の金学権さんと池辺晋一郎さんは10月27日、東京都葛飾区青砥で行われたアジアの平和と共生を願う合唱コンサート「隣人と友に〜隣人と共に〜」で、それぞれ自作曲である「スニのための鎮魂歌」(詩・許南麒、作曲・金学権)、「海の墓標」(詩・芝憲子、作曲・池辺晋一郎)のタクトを振った。2人の共演は02年6月に行われた「6.15共同宣言2周年記念アリランコンサートと講演『アリランの主題による変奏曲』集」以来5年ぶり。コンサートは朝鮮と日本の過去の歴史に真摯に向き合い、平和な未来を望むものとして、観客たちの心をつかんだ。2人に音楽と社会との関わりなどについて話してもらった。(司会、まとめ=金潤順記者)

−「隣人と友に〜隣人と共に〜」と銘打って、合唱コンサートを開くことになった経緯について。

金学権さん

 金 日本には「はだしのゲン」など戦争の悲惨さや原爆の被害を扱った作品が多い中、日本の植民地支配により強制連行などで日本に渡り、被爆した朝鮮人の姿を描いたものは、「原爆の図」(第14部「からす」)以外はほとんどない。25年前、私は広島を訪れたときに朝鮮人被爆者協会の李実根先生に会った。そのとき李先生と、原爆の犠牲になった在日朝鮮人をテーマにした作品を書くことを約束した。作曲には時間がかかり、約束を果たすまでに長い歳月がかかってしまった。池辺先生が「悪魔の飽食」コンサートを行い、山口県長生炭鉱水没事故を扱った合唱組曲「海の墓標」を作曲したことを知り、アリラン・コンサートの縁もあって、話を持ちかけた。

 池辺 僕にとっては前回のアリラン・コンサート同様、今回の合唱コンサートも特別なことではない。僕にとってこうした活動は日常的なことと考えたい。今回合唱を担当した栗友会合唱団は、日本のアマチュア合唱団の中でも最高峰の実力を持っている。

−金さんは以前、「スニのための鎮魂歌」に込めた思いを本紙に寄稿してくれたが、池辺さんの「海の墓標」にはどのような思いが込められているのか。

池辺晋一郎さん

 池辺 もう20年以上も前になるが、84年に森村誠一さんのドキュメンタリーによる「悪魔の飽食」という混声合唱組曲を書いた。日本軍の731部隊は、中国・朝鮮・モンゴル・ロシアの人たちに残虐な人体実験を行った。僕は731部隊も長生炭鉱水没事故も、たとえそれが戦時中であったとしても、人間が、人間を人間だと思わない、人間を狂気に追い込むその精神の本質は同じであると考えている。長生炭鉱の犠牲者たちは今も海の底に放置されたままだ。戦争を語り継ぐというのは、人間が、どれほど非人間的なことをしてきたのかという事実を後世に伝えることではないのか。格好の良いこと、都合の良いことは語り継ぐけど、都合の悪いことは伏せてしまうようでは過去の過ちを二度と繰り返さないという誓いも弱くなってしまう。後の世代のために誰かがやらなきゃいけないことだ。それは決して、「日本の恥部」をさらすことではない。世の中から戦争が消えて、本当の平和が訪れたら、その時はこういう曲がいらなくなるだろう。でも、今はまだ必要だと思う。

−コンサートの内容は重いものとなったが、合唱を指揮するうえで何か感じたことはあったか。

 金 出演者の中には、歌を通して歴史の真実を知ったという人がいて、コンサートの意義を実感した。僕としては「スニの…」よりむしろアンコール曲の「地球花壇」を歌うときの方が胸が熱くなった。

 池辺 明るい曲だね。

 金 そう、みんなで声を合わせてアジアの平和を歌うとき、3人の作曲家たちの行きつくところはここなんだな、という想いが胸に込み上げてきて涙が出そうになった。

−コンサートは歴史的にも、社会的にも、そして、政治的にも大変意味深いものとなったようだが、音楽が政治や人々の暮らしに与える影響についてどのように考えるか。

 池辺 音楽がどんなにメッセージ性を持っていても、それがすぐに政治や社会を変えられるとは思っていない。それはつまり、現実世界では「開けゴマ!」と呪文をいくら叫んでもドアが開かないのと同じ。しかし、その開かないドアの下につっかえ棒か何かを置いてみんなで力を合わせて歌えばドアは開くかもしれない。政治や社会を変えようというとき、歌はみんなに力や勇気を与えてくれるし、みんなの心を結びつけてくれる。歌はそういう縁の下の力を与えてくれるものだと思っている。そして、その結びつきは強い。単に、議論で同じ意見を持っていると言って握手をするよりもっともっと強い。だから音楽というのは実はとっても強いものだ。

 金 まったく同感。僕の机の上に何人かの尊敬する作曲家の言葉が書いてあるんだけど、その中に池辺先生の「音楽は社会を変えられないけれども、社会を変えようとする人間に力を与える」という言葉がある。僕らは社会で暮らしているから、物事を見て、聞いて、感じて、考えているんだけれども、そうすると当然主張も出て来る。それを外していつも「花がきれいだね」とばかりは言ってられない。

 池辺 そうそう。

合唱コンサート「隣人と友に〜隣人と共に〜」

 金 花が咲いていたら、なんできれいなの?、どこに咲いていたの?、その花がどんな人にきれいだという感情を起こしたの? というように、人間対対象の関係というのは必然的に起こるもの。そこには社会とつきあっていくのが当然だということが見えてくる。

 池辺 そう、なぜわざわざ政治的な発言や社会的な発言をするのかと言われることがある。今金先生が花の話で例えたけど、もし、人間が一人で住んでいて、一人でおいしいご飯を食べて、一人で花を愛でて、一人で美しい風景を眺めて、一生生きていければ良いけどそんなことはできない。花はいつか枯れるし、それはごみになる。食べればカスが出るわけでそれもごみになる。ごみは捨てなければならなくて、ごみを捨てるには何曜日に燃えるごみ、何曜日に燃えないごみと、これはすでに社会的な行為になっている。社会的な行為はルールになっていて、ごみの収集車が来ない日にごみを出しちゃいけない。ルールに則って自分の生活がある。ということはすでに社会と関わっているということだ。社会と関わって自分の意思を反映させる、社会のルールを受け入れるということは、政治と関わること。そして、自分が関わっていると何か言いたくなる。これはすでに政治的な発言です。僕は作曲家だからたまたま音楽でそれを言う。絵描きは絵で言うだろうし、文章を書く人は文章で表現するだろうし、叫ぶ人もいるだろう。みんなそれなりの方法がある。僕がやっていることも特別な行為ではなくて、毎日の生活の中にあることなのだ。

 金 先ほども話したように、こういう曲ではじめてこの歴史的事実を知ったと言う出演者がいたけど、広島・長崎でたくさんの人が原爆の犠牲になったことは多くの人が知っている。けれども、その中に朝鮮半島から強制連行などで連れて来られた人がいた、それも50、100人という数じゃなくて、ひとつの工場に3000人単位で、広島だけで5万3000人いた、その人たちは爆心地の中心から4〜5キロの地点に集団的に住まわされていたと言うと驚いていた。こういう作品を僕らが世に出すことによって歴史的な事実を知らせることになる。

 池辺 それが「語り継ぐ」ということなんだよね。

 金 だからあえて演説をしなくても、そういう面では良かった。知ってくれた人が一人でもいてくれて良かったなと思っている。

 池辺 その通りです。

 金 長生炭鉱の事故なんて知らない人がほとんど。ときどき山口の地方新聞なんかに出ることはあっても一般的にはそう知られていない。そういう意味でコンサートは意義深かった。

−今後はどのような活動を考えているか

 池辺 戦争を語り継ぐ、歴史を伝えていくという活動は今後も続けていく。それは根本的には自分が生活していること自体、社会と関わることなので、当然なことです。社会の一員として、自分がやるべきことを次に語り継いでいくというのは僕のライフスタイルでもある。

 金 私は今回コンサートを通じて2つ思ったことがある。ひとつは池辺先生が言った「語り継ぐ」ということで、まだ知らない人たちにこういう歴史的事実があって、「従軍慰安婦」の問題なども含めて、そういうことを共同作業としてやっていきたいなという思いがある。もうひとつは、合唱という形で北や南、日本、アジアの合唱団とともに歌いたい。そして広島の被爆2世、3世の在日の合唱団とも歌いたい、そういう思いを抱いている。本当に東アジアの平和の問題、日本と朝鮮半島の平和の問題を、もっと楽しく歌えたら良いなと思っている。

−本日はお忙しい中ありがとうございました。

 金学権=東京朝鮮高級学校師範科卒業後、金漢文氏に音楽美学を、野田輝行氏に和声法、対位法を、宗像和氏にピアノと作曲を師事。2001年ソウルで合唱曲「アリラン峠」が演奏され、作曲とアリラン研究で「アリラン賞」を贈られる。2006年9月にチェコ・プラハで「吹奏楽のための舟歌」が演奏された。代表作は交響組曲「所願」、管弦楽曲「リムジン江」など。朝鮮民主主義人民共和国功勲芸術家の称号を得ている。

 池辺晋一郎=東京芸術大学作曲科から同大学院修了。池内友次郎、三善晃氏に師事。1966年に「管弦楽のための2楽章・構成」で音楽コンクール1位。国内で多数の賞を受けている。オペラ「死神」でザルツブルグ国際テレビ・オペラ賞、音楽物語「もがりぶえ」でイタリア放送協会賞を受賞。現在、東京音楽大学教授、横浜みなとみらいホール館長、NHK教育テレビ「N響アワー」の解説でもお馴染み。

[朝鮮新報 2007.11.12]