〈朝鮮と日本の詩人-42-〉 栗原貞子 |
閃光に灼かれた黒い骸(むくろ) 石のなかから きこえてくる/灼かれた幾万の 死者のこえ/ムル ムルダルラ/ミズヲクダサイ ミズヲクダサイ/千年の恨みをこめて/夜の空気をふるわせている。 公園のなかへ入れられず/川べりの碑のなかから/一晩中きこえてくる 幾万の死者のこえ/ムル ムルダルラ ムルダルラ ふるさとの田畑を耕していたまま/引き立てられ/ふるさとの町や村を歩いていたまま/引き立てられ/妻や子や 親や兄妹にも/別れのことばさえ 交わされず/牛馬のように連絡船につみこまれ/海峡をわたって連行された。 異国の神を拝まされ/異国の国王に忠義を誓わされ/とどの果て/閃光に灼かれた黒い骸を/からすが群がってついばんだ。(以下最終行まで12行省略)。 原爆投下直後の広島の惨状を浮かびあがらせた詩である。原爆被災者の中には朝鮮人が2万人はいたという。それもほとんどが慶尚南道陜川郡出身者である。原爆を主題にした詩集でもっとも広く知られているのは峠三吉の「原爆詩集」と原民喜の「原爆小景」なのだが、そこには朝鮮人犠牲者は取り上げられていない。 この詩「石のなかから」の作者栗原貞子は、強制連行を断罪するモチーフから作品を書くことで、原爆投下の非人道性と残虐性を独自の角度から剔抉している。省略した12行のうち「ふるさとは二つに引き裂かれ/裂かれた半身に/千の核兵器をみせられ」「異国の兵士よ去れ」「ふるさとはひとつ」という詩句があるように、栗原は日本人として南朝鮮を占領する米軍の撤退を求め統一を念願している。彼女には、このほかにも朝鮮をテーマにした数篇の作品がある。 広島に生まれ17歳の頃から詩を書き始めた栗原は32歳で被爆した。以後、たゆみなく反戦反原爆運動にたずさわり海外でも活躍した。詩歌集「黒い卵」、広島詩集「日本を流れる炎の河」「私は広島を証言する」「ヒロシマの原風景を抱いて」などの詩集を刊行し、長生して92歳で没した。この作品は「栗原貞子詩集」(土曜美術社)に収められている。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2007.11.12] |