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〈本の紹介〉 司馬遼太郎と朝鮮

虚飾に潜む差別意識

 司馬遼太郎の作品「故郷忘じがたく候」にある一行の引用からこの物語ははじまる。それまで慣れ親しんできた司馬遼太郎の作品群への憧憬の念は、日本による朝鮮の植民地支配を「たかが三十余年」と断じたとき、悉く喪失する。その重苦しい意味を心の奥深くに刻んだときから、侵略者として日本人である自分の出自と重ね合わせて、己を苛む長く苦しい旅がはじまる。幼少時に育った遥かなる朝鮮での体験を踏まえて司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」に潜む蔑みの思想と対をなす「日本の優位」という国家幻想を緻密に検証し、維新から今日に至る近代化のネジレ構造を照射する問題作。

 著者の指摘通り、日本には、「明治の栄光、愚かな昭和の戦争」というようなまやかしの言説が溢れ返っている。「坂の上の雲」の世界がその典型的な一例であろう。「明治国家はよかった」「昭和初期は異質だ。日本ではない」などと司馬は繰り返し書いているが、果たしてそうなのか。しかし、日本の朝鮮侵略は、あれほど司馬が褒めちぎった「明治の栄光」の時代に始まった。「坂の上の雲」の日清戦争についての文中で、甲午農民戦争については、取るに足らない農民一揆として1ページを費やしているに過ぎない。だが、日本が日清戦争という強大な軍事力で踏み砕いてしまったこの運動こそは、朝鮮の歴史に輝くような画期的な闘いだったのだ。日本は、朝鮮民衆が、封建支配体制を打ち砕いて、民衆のための新しい時代を切り開こうとした動きを、根こそぎ抹殺したのである。

 司馬の文章には、非常に巧妙な罠が仕掛けられているように思える。例えば次のような一文。

 「…日帝がいかに暴虐であろうとも―げんにそうだが―しかし、長い朝鮮史のなかでその期間はたかが三十余年であるに過ぎない。李朝五百年が、朝鮮の生産力と朝鮮人の心を停滞せしめた影響力のほうがはるかに深刻なように思う…」(「街道をゆく」)

 ここには、司馬の骨身に染みついた「朝鮮停滞論」を、唯一の「ものさし」とする戦前の歪んだ蔑視観が潜んでいる。その結果、日帝の暴虐にすら免罪符を与えようとする心情が溢れている。「五百年」に比べたら「たかが日帝36年」なんていかほどでもない…という司馬の傲慢な物言いには、許しがたいものがある。

 著者はまさにここに司馬の本音を、その作品の本質を見ているのだと思う。

 司馬は「たかが三十余年」というが、実際、朝鮮民衆の慟哭と受難はいかばかりだったか。著者はこう書く。

 「農地を取り上げ(土地調査事業・1910年)、山林を奪い(森林法公布・1908年)、朝鮮語を禁じ(日本語常用の強制・1937年)、文化を破壊し(朝鮮古蹟調査事業・1908年)、姓氏を捨てさせ(朝鮮民事令改正・1939年)、誇りを踏みにじり、ついには命をも消し去るという、陰湿でかつ暴圧的で執拗を極めた日本の植民地支配は、1945年8月15日の日本敗戦=朝鮮の解放まで三十六年も続いたのである」と。

 朝鮮の文化や白磁を愛するといいながら、「持って回ったような独特な虚飾が格好をつけてはいるけれど、司馬の思想というものは、『日本の優位』という観念に囚われていて、排外主義的で、差別的で、尊大であるに過ぎない」と著者は断じている。

 その司馬史観を標榜する一群の輩は、今も日本の過去を誠実に検証しようとする人々を「自虐史観」だと、陰湿な攻撃を続けている。この荒涼とした、醜悪な風景を泉下の司馬はどうみているだろうか。(備仲臣道著、批評社、1800円+税)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2007.11.17]