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〈本の紹介〉 飛鳥寺と聖徳太子

高句麗文化との深い絆

 高句麗文化の香りが今も色濃く残る飛鳥寺。以前、山本宝純住職にお目にかかった折に、「飛鳥寺は聖徳太子の人間形成や仏教面の指導に携わった高句麗の高僧・慧慈が住した由緒ある寺。伽藍配置も平壌の清岩里廃寺の一塔三金堂様式をモデルにしたもの。古代日本に豊かな恵みをもたらした高句麗の恩を片時も忘れたことはありません」と温かい言葉で出迎えてくれ、「飛鳥寺は高句麗とはとくに縁が深く、本当におめでたいことです」とおっしゃった。

 本書の著者は、その住職と共に、古代飛鳥文化の保存に心血を注いできた研究者として知られる岡本精一氏。とくに聖徳太子に深い敬慕の念を抱き、生涯、太子に深い影響を与えた高句麗僧・慧慈らについても深い研究を行ってきた。

 本書によれば、「高句麗の高僧・慧慈法師は推古天皇3年(595年)、百済の恵聰とほぼ同じ頃高句麗の嬰陽王の命によって来朝した。太子の仏教の師として、また、政治外交の顧問として若き摂政・聖徳太子をよく導き、20年間、日本に住んでいた。高句麗からの渡来僧の中の第一人者といわれ、三宝の棟梁、三宝の明星と称せられた。恵聰とともに飛鳥寺に住み、飛鳥寺の建立にも深くかかわった」という。とりわけ、慧慈の存在は大きく、仏教の師だけでなく、太子の外交顧問として、日本と高句麗の友好関係を深めるために心を砕いたと述べている。

 来年は、百済から日本に仏教が公伝して1470年、飛鳥寺の建立が発願されて1420年の記念すべき年である。日本文化の源流、高句麗文化について、再びスポットが当てられるにちがいない。本書をあらためて紐解くことの意味は大きい。(岡本精一著、奈良新聞社、700円+税)(粉)

[朝鮮新報 2007.11.17]