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〈朝鮮と日本の詩人-43-〉 森崎和江

朝鮮は「母の呼び声」

 むかしから 春になれば野や山で/夏には薬水のほとりで/オモニたちは唄い踊りました/村祭りの日にも/祈りが終るとみんな車座になって食事をして/そして唄い踊りました/あちらこちらの村から/田面をこえて チャングの音がひびいたものです/からりと晴れたまっさおな空が/おれんじ色に移ろい/やがて涼風のたつ夕ぐれになっても/おもいおもいに舞いながら/ときには数十人の波となりました

 旧暦8月15日を秋夕というそうです/この日は遠くへ働きにいっている人びとも/ふるさとに帰って/祖先の墓に参ります/女たちは新しい米で酒をかもし

 餅をつくり/家族そろって 小高い山へのぼっていくのです/芝草におおわれた丸い墓が/その山にありますから(11行略)

 この日本の風土のなかで/老いていくオモニたちのほとんどは/祖先の眠る山へ帰ることができません/またその母たちが伝えた/あの羽衣の舞のような踊りも祭りも/日本生まれの子や孫に伝えるすべがありません

 この九州の山のうえのちいさな洞窟で/身をかがめて祈り/いまつつましく風に舞う老女たち/白いチマ・チョゴリをふくらませ/ゴムの沓で草を踏み/眼を伏せ くるくると舞いあうこころに浮かぶものは/はるかなふるさとの山の色か 田の色か/あるいは/かつては母よ母よとまつわりついた子どもたちの声なのか/それとも/はるばると なお孤独に老いていく異郷の道の/とおさか きびしさか/柔和なほほに目をほそめ/このひととき/山の 草に舞うているのです

 「草の上の舞踏」は、大邱で生まれて育って「私はひたすら朝鮮によって養われた」という詩人が、乙女の時代に見たかつての農村風景を回想しながら、視点を在日に移してうたった詩である。ハルモニたちの悲しみと、帰郷の願いを素朴にうたいつつも、彼女たちを異国に追いやった日帝の罪悪に、詩人として自責している。この詩は「森崎和江詩集」(日本現代詩文庫土曜美術社)に収められている。

 代表作に「からゆきさん」「慶州は母の呼び声」など。(卞宰洙、文芸評論家)

[朝鮮新報 2007.11.19]