〈人物で見る朝鮮科学史−42〉 世宗とその時代@ |
黄金時代開いた第4代世宗
1392年李成桂が建国した朝鮮王朝も第3代太宗の時代には安定し、第4代世宗の時代に隆盛期を迎えた。世宗時代(1418〜1450)はしばしば朝鮮文化の黄金時代ともいわれるが、その中核にあるのが科学技術である。 著名な科学史研究者で中国科学技術史の権威であったジョセフ・ニーダムは、大著「中国の科学と文明」(思索社)で世宗について「その有能はカリフ、アル・マムーンやカスティリア王アルファンソ10世に十分比肩しうるものであった」と書いている。 アル・マムーンはバグダッドに都を築いたアッバース朝第7代の王で、この王朝最大の王者といわれる。彼はギリシャの学問に深い関心を持ち、それをアラビアに移すことに力を注いだだけでなく、図書館と天文台を設けるなどアラビア科学の基礎を築いた。アルファンソ10世はスペイン13世紀の王で、学問の推進者として、また自身も学者として知られる人物である。とくに、天文器具の知識を集大成した「天文学著作集」と16世紀までヨーロッパで標準的な天文表として用いられた「アルファンソ表」が重要な業績として知られている。
若い頃、学問に勤しんだ世宗は中国古典に飽き足らず、朝鮮独自の学問の確立を目指す。そこでまず、科学技術を担当する官僚機構「集賢殿」を創設し、有能な人材を広く求めた。そして、その組織力によって自身の科学技術政策を実践に移していくのである。そこでは、すべての分野で以前に蓄積された科学的知識と技術的経験が検討・整理され、一定の体系へと理論化する努力がなされた。その成果として天文暦書「七政算・内外編」の編さんや朝鮮独自の薬学を確立した「郷薬集成方」の編さん刊行と、それまでの東洋医学を総合整理した「医方類聚」の編さんを挙げることができる。また、朝鮮各地方の農法を調査・整理した「農事直説」、全国的な規模でさまざまな地理的情報を総合した「世宗地理志」や歴史書「高麗史」の刊行も欠かせない。なかでも「訓民正音」(ハングル)の創製は、世宗の名を不滅のものとした偉業である。 さらに、世宗時代には世界最初の雨量計「測雨器」の発明利用や各種天文観測器具の製作、印刷技術の発展など、科学的知識の蓄積や分析に必要な技術が発展した。定性的分析から定量的分析への発展こそは近代科学の決定的契機であり、まさに世宗時代の科学技術は中世最高水準に達していたのである。むろん、世宗は封建国家の領主であり、その科学技術的施策は天に代わって政事を行う権威づけの意味合いがあった。反面、それゆえに国家的プロジェクトとして科学技術の発展が推進されたことも事実である。この時代どのような人物が活躍したのか。筆者にとっても最も楽しみな時代である。(任正爀、朝鮮大学校理工学部教授) [朝鮮新報 2007.11.22] |