くらしの周辺−息子よ、共に脱皮しよう |
それは突然の事であった。わが家で飼っていたホワイトザリガニが脱皮したのである。珍しいからと職場の先生がくださったものだが、ハサミが小さく不恰好なうえに動きも鈍かったので、正直あまり気に入ってなかった。 しかしである。一夜にして生まれ変わった彼は惚れ惚れするほどの大変身を遂げていたのであった。透き通るような白い体、堂々たる大きなハサミ、悠然とした泳ぎっぷりをまじまじと見つめながら私は、教育を研究する者として強い自戒の念に包まれた。動物であれ植物であれ、すべて生物というものは生きているかぎり常に変化するものである。「今」の姿は一時的なものであって決して永遠ではない。「あした」になれば今回のように大化けする可能性を秘めているのが、「造り物」と「生き物」の決定的な違いなのである。人間にも当てはまるこの単純な原理を基にして教育は成り立っているのだ。自らが毎日のように強調しているはずの「基本」を忘れ去り、目の前の姿だけで相手を判断していた私に強烈な一撃を食らわせたのだった。 私はフーッと大きく溜め息をつき、隣でエサを与えている甘えん坊の次男に視線を移した。「ん?」という表情の彼に私はいつもより明るい口調で「大丈夫、明日があるぞ」と声をかけた。息子は突然の励ましに「はぁ?」といぶかしがっていたが、思い当たる節があったのか私の肩をポンポンと叩きながら諭すようにこう言った。「アッパ、そういう甘やかしが僕をダメにするんだよ」。 そうか、脱皮すべきは親も同じということか。息子よ、共にがんばろう!(慎栄根、朝鮮大学校教育学部助教授) [朝鮮新報 2007.11.22] |