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詩人・尹東柱の記念碑完成

 「詩人尹東柱記念碑建立委員会」(紺谷延子事務局長)によれば、このほど尹東柱の記念碑(高さ1.8メートル、幅1.4メートル、奥域1メートル)が20日に完成し、碑に刻む「記憶と和解の碑」と題する次のような文言が関係者に披露された。

 2004年11月、国連総会は「第2次世界大戦終結60周年を記念する決議」を採択し、欧州大戦終結の5月8日と9日を、アジアを含めたすべての戦争の「記憶と和解の日」にすることを宣言しました。

 私たちは国連宣言を尊重し、日本の植民地統治と侵略戦争を反省するとともに、戦時下、同志社大学留学中に「治安維持法違反」で捕まり、27歳という若さで獄死した詩人尹東柱に思いを馳せ、その詩「新しい道」一篇を刻んだ記念碑を、彼が生前最後の写真を撮ったここ天ケ瀬吊橋を眺望する場所に建立し、尹東柱を記念し後世に語り伝え、アジアの人びととの真の和解と友好に努めることを誓う。

 日本の植民地統治下にあった朝鮮では「創氏改名」が強制され、学校では朝鮮語の使用が禁じられていたが、キリスト者尹東柱は民族文化を守りぬくために、人知れず清冽で抒情あふれる詩を朝鮮語で綴っていた。学友と過ごした宇治川・天ヶ瀬吊橋での思い出を、ノートに書き溜めていた可能性は否定できないが、警察に押収された遺品は行方知れずのままである。

 記念碑の前に佇み、惜しんでも余りある才能を無残に折られた詩人に、心から哀悼の意を捧げる。

 尹東柱略歴

1917年 12月30日 北間島(現中華人民共和国吉林省延辺)に生まれる。
1941年 12月 延禧専門学校(現延世大学)を卒業。
1942年  4月2日 立教大学へ留学。
1942年 10月1日 同志社大学英文学科へ入学。
1943年  5月 宇治川・天ヶ瀬吊橋に遊ぶ。
1943年  7月14日 「治安維持法違反」の容疑で京都下鴨警察署に逮捕される。
1945年  2月16日 福岡刑務所で獄死。享年27歳。

 詩人尹東柱記念碑建立委員会

 記念碑建立は戦争の記憶を伝える市民運動として、05年9月、安斎育朗・立命館大学教授らのよびかけで発足し、建立のための募金活動を開始してきた。

 共同代表には安斎教授や須田稔・立命館大名誉教授がなり、随筆家の岡部伊都子さん、哲学者の鶴見俊輔さんら71人がよびかけに賛同した。これまで、日本市民、在日同胞、南の市民ら900人から約550万円の募金が集まり、南の尹東柱の遺族からは碑に刻む尹東柱直筆の詩「新しい道」が寄せられた。

 紺谷さんは「多くの人々が立場を超えて、記念碑建立の呼びかけに応えてくれた。日本と朝鮮半島の間には、いまだ大きな溝が横たわっているが、今回の動きは、平和と和解を希求する人々の輪の広がりを示すものでうれしい」と述べた。

 なお、建立委は宇治市や複数の地権者らに、碑の設置場所の協力を要請しているという。(粉)

[朝鮮新報 2007.11.26]