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〈本の紹介〉 シリーズ 花岡事件の人たち

少年の日の記憶と戦争責任

 本紙に朝鮮人強制連行の実態を告発した「遺骨は叫ぶ」を執筆中の作家・野添憲治さんの著作集「シリーズ花岡事件の人たち−中国人強制連行の記録 全4巻」がこのほど刊行された。花岡事件はもとより、中国人や朝鮮人の強制連行の聞き書きを四半世紀近く続けてきた。

 野添さんの原点は1945年6月30日、秋田県北、鹿島組花岡出張所に強制連行された中国人たちが、圧制に抗して蜂起した花岡事件にある。野添さんは花岡と山を隔てた白神山地の麓、藤琴町(現=藤里町)に暮らす10歳の少年だった。

 「中国人が来た」と村中が大騒ぎになった。山を越えて逃れてきた中国人が捕らえられたのはその数日後。村役場に隣接する小学校で、野添少年はほかの子どもたちと共に、後ろ手に括られた2人の中国人をはじめてみた。その彼らに唾をかけ、「ばかやろう」と叫んだ野添少年らを、大人たちは「よくやった」とほめた。

 その2人が花岡事件の中国人たちだったと知るのは、聞き書きの仕事をはじめた20代後半のことである。戦争責任は少年の日の記憶、そして、自らの行いと不可分のものとなった。

 誰のものでもない、自らの歴史に向き合い、真実を掘り起こす活動こそ、今求められていると力説する。

 シリーズ刊行に当たって、著者は次のように述べている。

 「わたしはそれまで、軍国少年であったことは認めるが、戦争に直接手を下した加害者ではないと思っていた。しかし、花岡事件を知って中国人たちを痛めつけている自分を見つけて愕然とした。わたしも加担した花岡事件を詳しく知りたいと思ったが、当時は本も手に入らなかった。花岡鉱山に行くと話を聞いて歩いたが、『花岡事件』というだけで戸を閉められた。花岡鉱山では触れてはならない禁句になっていたが、地元の人たちに聞くより方法を持たないわたしは、戸を閉められ、睨みつけられても話を聞きに通うようになった。花岡事件とわたしのつながりはここからはじまったが、その後は中国人強制連行や朝鮮人強制連行にも手を拡げたものの、いまもこの作業を続けている」

 胸の奥深くに沈殿していた人々の思いを聞き、記録する−そこに自らの経験をモチーフとして、野添さんが続けてきた仕事の豊かさがある。多くの人たちに手に取ってもらいたい著作集である。(野添憲治著作集、社会評論社、各巻=4300円+税、TEL 03・3814・3861)(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2007.12.1]