〈朝鮮と日本の詩人-45-〉 後藤郁子 |
内に秘めた反抗の精神 朝鮮よ/何が何を 何を何に代えようとするのか/知って居るのか 嘗て人情的であった愛/嘗て美術的であったおまえは/多くのよい生命を失おうとして居ることを知っているか/私のあこがれは深い深い霧の彼方に/かくされてしまった/濃霧に閉ざされた朝鮮よ/おまえを囲む霧の中に堪え切れないもの/反抗するもの/追放される者/だが/私は 忘れはしない/白磁の壷を生んだおまえの先祖の/無限の素朴と そこに溢れた十全の愛 飢えたる白鷺の群れに/悩める片脚を抱いて闘う時も/その素朴は/何ものにも代えてはいけない/素朴こそ野人の賜だ/唯一の力だ この詩は1929年に雑誌「女人芸術」の2月号に発表されたものの前文である。プロレタリア詩にしては珍しく、やや難解ではあるが、日本帝国主義の朝鮮侵略を告発するというテーマは鮮明である。第二行の「何が−」は、朝鮮を日本に、朝鮮人を日本人につくりかえようとする「皇国・皇民化」政策のメタファー(暗喩)と読むことができる。朝鮮を愛する詩人は、その国が「濃霧に閉ざされ」たことに悲憤を表出させている。そして、かつて「白磁の壷を生んだ」素朴さを称えているが、詩語として用いられている「素朴」は朝鮮の民族性と解することができよう。そして、その民族性が平和を愛するという「十全の愛」に満ちていることを示唆している。しかしながら詩人は、「その素朴は−何ものにも代えてはいけない」と訴えることで、「飢えたる白鷺」=日帝とたたかう民族解放闘争の必要性を、反抗の精神を内に秘めて強調している。 後藤郁子(本名内野郁子)は栃木県に生まれ幼少の頃から画を好み、詩人の新井徹(内野健児)と結婚してから詩作に励むようになった。初期には絵画的感覚の抒情詩を書いていたが、夫の影響のもとに「詩精神」誌の編集にたずさわり、数少ない女性プロレタリア詩人として成長した。この詩は「日本プロレタリア文学集」(新日本出版社)38巻に収められている。詩集に「午前零時の新精神」「真昼の花」(31年)がある。(卞宰洙、文芸評論家) [朝鮮新報 2007.12.3] |