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ユージョンファクトリー安聖友さん 「松旭斎天洋賞」を受賞

「同胞たちが心の支え」

瞬く間に女性の衣装が早や変わり

 12月3日は「奇術の日」。マジシャンの掛け声をもじって「ワン、ツー、スリー」つまり「1、2、3」のつくこの日に、東京・目白で開催された社団法人日本奇術協会第18回「奇術の日」交歓会で、日本奇術協会・渚晴彦会長から、日本を代表する奇術師に贈られる「松旭斎天洋賞」が、在日同胞マジシャンの安聖友さん(48)に授与された。

 日本各地のマジシャンと奇術愛好家たち約200人が見守る中、ステージに立った安さんを、司会者は「大阪のマジシャンから日本のマジシャン、そして、世界のマジシャンへと成長した」と紹介した。

 安さんは日本国内はもとより、米国、フランス、イタリア、スペイン、中国などでも幅広く活躍している。94年には、世界各国の団体が加盟する、マジックにおける世界最大規模の連合体であるFISM(Federation Internationale des Societes Magiques=マジック協会国際連合)グランドイリュージョン部門第3位にも選ばれた。

安聖友さん

 安さんとマジックとの出会いは5歳のとき。「アボジと一緒に見に行ったサーカスで行われたマジックショーを見て興味がわいた」。その後、中大阪朝鮮初中級学校初級部3年生のとき、誕生祝いのパーティーで簡単なマジックショーをしたのが「最初の公演」。友だちがみんなびっくりする姿を見て、「体中に電流が走るような感動を覚えた」と言う。

 当時は在日同胞の中に名の知れたマジシャンはいなかった。安さんは本を読みあさり、独学で、マジックの技を身に付けていった。プロのマジシャンになる夢を胸に抱き、その思いを両親に伝えるものの、両親は猛烈に反対した。そんな中、安さんの支えとなり、応援してくれたのが朝鮮学校の同級生と先輩、後輩たちだった。

 「零細企業で働く両親は最初、マジシャンになることにとても反対していた。けれど、そんな両親を招待して行った最初の公演で、僕の友だちや先輩、後輩たちがとても喜び、楽しみ、僕を心から応援してくれている姿に心を打たれ、ついに折れたようだった」

 そのような体験から、安さんは世界的なマジシャンとなった今でも、母校や地元同胞社会とのつながりを大切にし続けている。

朝鮮学校と同胞社会を大切にするのが安さんのモットー(左下、2006年1月)

 昨年1月、第84回全国高校サッカー選手権大会に出場し、ベスト8入りした大阪朝高サッカー部の主将を務めたのは、現在朝大2年生の息子の泰成くん。試合期間中は、連日、父母たちと共に声をからして応援する安さんの姿が、つめかけた同胞たちの目に焼きついている。

 また、安さんは、北南朝鮮でも公演を行い、マジシャンたちとの親交も深めてきた。

 現在は、朝鮮が世界奇術連盟に加盟できるように尽力している(南は加盟済み)。来年3月からは、釜山の東釜山大学に新設されるマジック学科の専任教授として後進の育成にも携わる。

 「在日同胞たちは、どんなことがあってもウリハッキョを守らなくちゃいけない。僕が北と南で公演して、大学で教壇に立てるのも、民族教育を受けてウリマルを話せるという利点があるから。在日同胞の財産はみんなが力を合わせて守らなくては」

 この日行われたイリュージョンショーでは、瞬く間に美女の衣装が赤から黄、白、黒…と早変わりし、会場は観客たちの大きな拍手と歓声で包まれた。

 「8分のショーを仕込むのに費やした時間は3時間。この作品をここまで完成させるのに20年もの歳月がかかっている」

 不可能なことを可能に見せるため、マジシャンたちは人知れぬ研究と練習を積み重ねている。老若男女を問わず、言葉の通じない外国でも通じる、というのがマジックの魅力。きらびやかでダイナミック、スピード感あふれる安さんのイリュージョンマジックショーは、これからも世界中の人々を楽しませてくれるだろう。(金潤順記者)

[朝鮮新報 2007.12.10]