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「朝鮮通信使来聘400年」の連載を終えて、再び 平和な関係を望む

朝鮮と日本の2000年の交隣の歴史

 通信使を知れば江戸時代がわかる。通信使研究が深まれば江戸の姿は今とは違う様相を見せるであろう。そんな時節の到来が楽しみだ。

 今回の通信使の話の連載は、在日同胞の朝・日関係史の理解に深みを持たせたと考える。

 今年は通信使往来400年の節目にあたる年であるから多くの行事が望まれた。しかしながら、ウリ文化事業分野では、通信使関連で注目に値するものはあまりなかったようだ。

 日本の各地では通信使関連行事が行われ、私もいくつかの発表を行った。南朝鮮からの「通信使の歩いた道をたどる」通信使研究会一行との交流会もあった。

 通信使の今日的意味についても考えてみたい。

 現在、朝鮮と日本は100年の敵対関係の中にある。世界の歴史の中で類例を見ない長期間の異常な関係が続いている。江戸時代の250年の交隣とはまったく逆の関係である。ここに通信使研究の今一つのテーマがあるといえる。

 豊臣政権の侵略から江戸時代の平和の使節の往来への和解、その歴史的教訓に学ぶべきである。通信使の歴史の教訓は、第一に江戸日本のすみやかな和平努力と朝鮮王朝の決断は敵対関係の解消のための外交として、その範となる。第二に平和外交は朝・日双方に多大な利益をもたらした。平和外交は、安全保障上また経済交流上、両国に有益であった。第三に国力の格差を解消し、両国間に安定をもたらした。倭寇は貧しいがための、富める国への略奪を行った。通信使の往来、貿易の正常化は平和的な方法による格差の解消につながり、平等な交流関係へと成長した。第四におそらく朝・日両国の人々がもっとも相互理解を深めた時代を作ったことである。

 今まで、2000年の朝・日関係史の中で、飛鳥時代を中心にした朝鮮三国の日本との交流の時代が友好の時代と考えられてきた。しかし、江戸時代の交流は国家間の交流としてより濃密な交流だったと思われる。

 現在、私たちは新たな通信使の時代を作る課題に直面している。

 在日同胞は朝鮮国と日本国が「信」を「通」いあうようにするために、私たち自身も居住国の人々と信頼関係を築くために努力しなければならない。

 ウリトンポには歴史好きの人が多い。そんな人々のためにも各地で歴史の勉強会や研究会を始めたらよいと思う。「同胞訪問運動」にもなると思われる。

 この頃の韓流のおかげで、「朱蒙はどんな意味?」「淵蓋蘇文はどんな人?」「高句麗はすごいね」という話題が上がる。話のやり取りをする同胞たちの顔はみんな楽しそうだ。

 ウリナラの歴史を大いに語ろう。ウリナラと日本の2000年の交隣の歴史を大いに語ろう。(金宗鎭、社協東海支部会長)

[朝鮮新報 2007.12.14]