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若きアーティストたち(53)

現代美術家 李純麗さん

 アトリエは、高尾駅(東京都八王子市)から北に少し歩いた所にある。

 日本画や彫刻などを専門とする日本人の美術家たちと共同でシェアし、作品作りをしている。

 李さんのスペースには、ヘッドホンを耳にはにかむ僧侶や、大きなマスクをつけ甘いものを食べようとする太った少女の絵などが並んでいた。「おかしいけれど憎めない人」「固定観念を砕く作品を描くこと」が、李さんのコンセプトなのだ。

 朝鮮大学校の美術講師であった父親の影響もあってか、幼い頃から絵を描くことが好きだった。初、中、高級部はずっと美術部に所属。朝大でも美術科に進み、同大の研究院を修了した。

 李さんの長い美術生活には、大きなポイントがいくつかある。

 まず、在日朝鮮人として生まれ育ったこと。実際に出自をテーマにした作品が多い。

 そして、西東京朝鮮第2初中級学校で教べんを執ったこと。生徒や教員、地域の同胞たちと接する中で、今までネガティブにしか捉えられなかった「在日」である自分を前向きにしてくれた。

「MOMOちゃん」(2007.アクリル)妊娠祝いの場でタバコを吸いお酒を飲む妊婦。自分がどんな状況におかれているのかをわかっていない人を描写している

 このアトリエに入ったことも、大きな転機となった。仲間たちと互いの作品を評価し合うことで、刺激を受け、自分の作品を客観的に観られるようになった。

 また、日本の人の輪に交じわり歩み寄っていく過程で、今まで自分の中にあった彼らとの間の壁がなくなったという。

 「自分の人生をより大きく動かすためには、他者との境目をなくすことが重要だ」と李さんは話す。作品を通じてコミュニケーションを取れることは、美術の一つの魅力であるが、今はまだ、自分と作品を観る人との間に距離がある。むろん、「他者」である以上、考えに相違があるのは仕方ないが、どこかで手をつなげる作品を描けるよう模索している。

 李さんが心に留めていることは主に2つ。

 1つ目は、「自分の思いに妥協しないこと」である。ときどき、「今風かな」「あの人はどう思うかな」などと、要らぬ思いがチラつくことがあるのだが、そういう時は必ず、いいものが描けない。だから、正直な思いで描くよう心がけている。

 2つ目は、「作ろうとしている作品がこの社会に根づいているか」と、自分に問い続けることである。創作活動を、自己満足で終わらせたくないという思いがあるからだ。

 アイデアは次々に出てくる。しかし、それを絵にする力が足りない。ひらめいたことはメモに取るが、やはり作品化できない。うまく表現できないもどかしさに悩むことはしょっちゅうだ。

 一般的に30歳といえば、ある程度の社会的立場が確立される時期。李さんのように美術に打ち込む人たちは数知れない。早く身を立てなくては−そんな焦燥に駆られることもしばしばある。また、「在日」である以上、社会的にその存在を広めていきたいという志もある。

 しかし、「まだスタートライン」だと、李さんは自身を素直に見つめる。来年は再び個展を開き、いずれは海外でも活躍したいという夢を膨らます。

 「現代美術家を目指す後輩たちが、『あんなふうになりたい』と思えるような画家になりたい」と、先を見つめている。(姜裕香記者)

※1977年生まれ。西東京第1初中、東京中高、朝鮮大学校師範教育学部(当時)美術科、同大研究院卒業。99年から6年間、西東京第2初中で教べんを執る。その後、06年5月に銀座「Gallery Q」で初個展「煩悩トロッコ」、12月に個展「ぶれ続ける女の形」を開催。その他、多数のグループ展に出品。フリーマガジン「METROPOLIS」などの誌面に掲載。

[朝鮮新報 2007.12.17]