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〈朝鮮の風物−その原風景 −5−〉 キムジャン

国あげての一大年中行事

 朝鮮では、立冬を迎えるとあわただしい冬支度にとりかかる。その代表格はなんといってもキムジャン(キムチ漬け)だろう。キムジャンは、かつては国あげての一大年中行事で、この時期になると街や村の道路はキムチの主材料となる白菜を積んだ貨物車で終日ごったがえし、各家庭では一家総出で数日をかけてキムチ漬けに精をだす。ほかに例をみない独特の食文化風俗である。しかし、こんにちでは生活様式の変化と住宅、食料事情などが大きく変わり、国民あげての恒例行事とはいかないのが現状である。

 キムジャンとは、キムチを漬ける作業をさすことばだが、そもそもキムチとは本来「塩漬けの野菜」という意味である。

 16世紀の「訓蒙字会」には塩漬け野菜を「딤채」と表記しているが、これがキムチの直接的語源とされる。すなわち、この「딤채」が口蓋音化を重ねて「침채」(沈菜)、「김치」と変化したというのが専門家の一般的な考えだ。ちなみに慶尚道などではこんにちでもキムチを「チムチ」と発音する。

 キムジャンの語源についても「李朝実録」に「太祖九年、沈臓庫を設けた」の記録がみえ、また「三峰集」に「前期(高麗)の制度にならって料物庫をおき、蔬菜とその加工(食)品を扱った」云々とあることから、料物庫、沈臓(チムジャン)庫からキムジャンに変化したとみる。

 キムジャンがいつごろから始まったかは定かではないが、全国的規模でおこなわれるようになったのは、朝鮮朝末期以降とみられる。

 「増補山林経済」(1766年)に、キムチの薬味としてはじめてトウガラシが使われた記録がある。それ以前のキムチは、ダイコンを主材料とし、ニンニク、サンショウ、ショウガなどを香辛料とした、ごくシンプルな塩漬けの野菜が基本だったという。

 それがトウガラシの伝来によってキムチ革命ともいえる一大変化がおきたのである。トウガラシの登場で淡白だった漬物の味が一変し、腐敗を防いだばかりでなく、それまで添加のむずかしかった動物性塩辛の使用も可能となり、辛みとともに味がぐっと深みを増した。併せて輸入ペチュ(白菜)の大量生産が進んだ結果、ダイコン主体からペチュキムチに主役がとって代わったことは、全国規模でのキムジャンの広がりにさらに拍車をかけた。

 こうして19世紀に至って、キムチの種類は飛躍的に数を増し、キムジャン全盛期をむかえるのである。

 キムジャンは、仕込みから漬け込みまで膨大な労力を要する。そのため家族はもちろん、親せき、隣近所の助けを借りる。最近では核家族化と、助っ人の動員がままならない世相を反映して、下漬けした白菜を販売する新手のビジネスもあると聞く。薬味だけすり込めば漬け込み完了という寸法だが、利便性はわかるが味気なさも残る。キムジャンを手伝ってくれた人々に、白菜と豚肉の「속대삼」をふるまったという逸話に、郷愁を感じる歳の暮れである。(絵と文 洪永佑)

[朝鮮新報 2007.12.22]