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〈同胞美術案内G〉 金漢文 自然に対する感情を作品に

変化する波動と不動の岩

「夜明け」(個人蔵) 朝鮮画 製作年不詳 52×40(センチ)

 芸術作品の中にこそ真の自然の姿が宿る。

 金漢文(1936−1991)の作品「夜明け」。

 地平線の向こうから続く海と、その海底深く根を下ろした岩々が描かれる。波は画面左右に揺らめき、岩とぶつかるところでしぶきを上げる。蒼々とした空と海。その中に十分な量感を持って岩が描かれている。

 「風景画」という絵画分野があるが、人が自然を芸術作品に収める時、どのような感情が働いているのだろうか。

 一般に「人」と「自然」は対立するものと捉えられる。脅威や恐怖に満ち、壮大なスケールを持った自然は、人間と対立するものとして、科学者や哲学者を魅了してきた。しかし、人は自然を人間の延長のようにも考える。花や山々が人間と同じ感情を持って喜んだり悲しんだりしていると考えるのだ。愛しむべき自然に囲まれ、それと心を交わすことも、人間の営みのなかで確かに行われてきた。人と自然と芸術。自然の姿を表現した今回の作品に、それらの関係と芸術作品の創造をみることにする。

 作者は絵画作品とともに次のような詩を詠んだ。

 この海が在日朝鮮人に苦痛を与える/在日同胞に悲劇と呼べる全てを与える/岩がそれぞれの姿で在日同胞のようだった/その戦いは南の同胞のそれと同じで/一瞬たりとも休むことがない

(略)

「波と岩」(個人蔵) 朝鮮画 1978年、 44×37(センチ)

 あらゆる戦いを体現するかのように/波がそして岩が/私にこう叫んだ

 孤独ではない/この戦いを声高に歌うのだ(「第3楽章」より、筆者訳・故金漢文氏逝去5周年記念「波と岩を描く 金漢文」、1997年)

 ここに人間の「自然に対する心」の全てが集約されている。波が人に悲劇を「与え」、岩が「同胞のよう」であり、そして岩が作者に「叫んだ」。自然に対する恐れ、それに立ち向かおうとする抵抗、人間も自然の一部であると考え、それと心を通わそうとする共感と憧憬。このような人間の精神と自然との連続や調和といった自然に対する人間の感情がこの作品の根幹をなす。そして、心を交わしたものの似姿の、その瞬間を画幅に収めようとする造形意志。ここに創造の原点がある。

 刻一刻と変化する波の運動と、悠然と構える岩の不動。画面手前で左右に躍動する波。その波を払うようにして堂々とした姿を現す黒い岩。

 自然の美を見出すのは人間の心である。自然に対する高度な感受性を持ち備えた人こそ芸術家であり、その感受性に支えられて創造されたものが芸術作品である。この作品に見られるように、そこにこそ偉大な自然の姿が現れ、芸術家の真の精神が表現される。

 朝鮮画による表現の大切さを語ったという作者。彼の生涯を鑑みても、在日の心に永遠に刻まれるべき自然の姿がはっきりとその画面に収められている。

 作者は東京生まれ。解放後の46年、八王子朝鮮民族学校(現在の西東京朝鮮第1初中級学校)、東京朝鮮中高級学校中級部を卒業。55年から東京三多摩朝鮮第一初級学校、のちに東京朝鮮第7中級学校で教鞭をとる。63年、東京朝鮮中高級学校師範科教員となり、美術と心理学を教える。69年、朝鮮大学校美術科教員となる。74年、在日朝鮮中央芸術団の一員として共和国を初めて訪問。78年、朝鮮民主主義人民共和国美術家同盟盟員。個展「波と岩」開催。版画及び児童美術分野を研究し、83年「図画」、84年「美術」の教科書を編さん。著書に「朝鮮の美」(雄山閣出版、1996年)。享年55歳。美術家であり、情熱的な美術教育者であった。彼の情熱と精神は、今も絶えることなく受け継がれている。(白凛、東京芸術大学美術学部芸術学科在籍・在日朝鮮人美術史専攻)

[朝鮮新報 2007.12.27]