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〈第85回全国高校サッカー選手権大会〉 大阪朝高 初戦敗退、桐光学園に0−1

「伝統作った」 後輩に夢託す

0−1で惜敗し悔しさをかみしめる大阪朝高選手たち

 第85回全国高校サッカー選手権大会の1回戦が12月31日、東京・西が丘サッカー場など関東の各会場で行われ、2年連続3回目の出場を果たした大阪朝高は桐光学園(神奈川)に0−1で敗れた。昨年の8強を越え、「国立」の舞台に立つことを目標にしてきたが、昨年に続く初戦突破はならなかった。康敏植監督(36)は「全国での1勝の難しさ」をかみ締める反面、「2年連続の全国大会出場で伝統が作れた」と振り返った。チームが目指すのは「常勝軍団」、そして夢舞台「国立」への扉を開くことだ。(文=金明c、李東浩記者、写真=文光善、盧琴順記者)

 1万3000人が詰め掛けた神奈川・三ツ沢球技場。青と赤のストライプのユニフォームを基調とする大阪朝高応援団は約3000人。マフラーを首に巻き、旗を手に持って大声援で選手たちを出迎えた。一方、それ以外の観客は地元・桐光学園の応援団と言っても過言ではなかった。

 大阪朝高は前回大会優秀選手のFW趙栄志選手のスピードに乗ったドリブル、左サイドバックの朴帝宣選手の左足の正確なロングパスとセットプレーを武器にリズムをつかみにかかった。

 朴選手が蹴るコーナーキックに観客らは「すごいカーブだ」とどよめく。ゴールに向かっていくボールは相手の脅威となったが、なかなか決定機には結びつかない。趙選手も随所に光るプレーを見せるが、1対1の局面を打開するにはいかなかった。

ほぼ互角の戦いを繰り広げた大阪朝高と桐光学園

 前線へのロングボールも高さで競り負ける場面が目立ち、そこから中盤のルーズボールの競り合いもほぼ互角だった。大阪朝高はリズムをつかんだが決定機を作れずに0−0で前半を終えた。

 後半に入ると戦況が一変。大阪朝高の豊富な運動量のプレスからボールを奪うパワーサッカーは健在だったが、そこをかいくぐられるとフリーの選手ができてしまった。

 徐々に落ちる運動量からプレスが効かなくなると、すきをつかれて相手FWにドリブルで抜かれる場面が多くなった。流れが桐光学園に傾き始めた後半33分、相手にペナルティーエリア外の左側からのフリーキックを与えてしまった。相手10番が右足で振りぬいたボールは、壁の頭上を越えてゴールに吸い込まれた。0−1。残り時間7分。

 サッカーは最後まで何が起こるかわからないが、同点にするにも難しい時間帯だった。大阪朝高は、ゴール前に選手を集めてボールを蹴り込むが、固い守りに入った桐光学園の牙城は最後まで崩せなかった。ロスタイム1分。無情にも試合終了のホイッスルが響き渡ると、大阪朝高イレブンはグラウンドに泣き崩れた。

初戦突破の重み

 康監督は、選手たちの肩を叩いて「よくやった」とねぎらった。試合を振り返り、「全国大会で1つ勝つことはとても難しいことなんだとあらためて実感した。それでも大阪220校の頂点に立ち、2年連続で出場を果たし伝統も作ってくれた。伝統を引き継いで来年もここに帰ってきたい」と雪辱を誓った。

 1年間、夢にまで見た「国立」は後輩たちに託された。いつもは表情一つ変えない金俊和主将が泣きじゃくった。昨年、先輩たちが成し遂げた8強のプレッシャーからの解放、何よりも心の底から悔しさが込み上げていた。

 「今年のチームは弱いって言われてきて…」と声をつまらせた。「それでも1年間、去年を土台にして自分たちの色を出していこうとチームをまとめてきた。プレッシャーがあったのは事実だし、全国での1勝は簡単じゃないと感じた」と、あふれる涙をぬぐった。

 戦前予想では、昨年8強の大阪朝高が有利と見られていた。5人の経験者が残っていたのも強みだった。それが逆にプレッシャーになっていたのも事実だ。

 「全国大会での1勝の難しさ」。前回大会のベスト8入りについて、サッカー解説者のセルジオ越後さんもこう語っている。「国見を倒したことで話題になったが、初戦を突破したことが一番大きかった」。初戦突破。これは選手権に出場する各校の最大の関門なのだろう。

 「大阪朝鮮ってたしか去年、国見倒したとこでしょ?」。会場を後にする人たちの話からこんな声が聞こえてきた。日本の人たちにも「大阪朝鮮」の名はしっかり刻み込まれている。2回連続出場は偶然ではない。実力で勝ち取ったものだ。

 2年生FWの安泰潤選手は、「まだまだ力不足。選手権出場は当たり前の目標。趙栄志先輩のような点の取れるFWでありたい」と語った。

 エースとしてチームを引っ張ってきた趙選手は、「大阪朝高は今や大阪を引っ張る存在。今日は1勝の難しさを痛感した。目に見えないプレッシャーもあった。『国立』に行きたかった。諦めなければ夢は叶う」と後輩にすべてを託した。

 初戦敗退ではあった。しかし、苦い体験こそが成長していくための糧だと監督、選手の言葉の端々から感じとれた。「全国選手権の常連校へ」−その真価が問われるのはこれからだ。

手に汗握った80分 「明日への希望」得た同胞応援団

地元大阪はじめ関東一円から3000人の同胞応援団が陣取った大阪朝高スタンド

 「ウォー!」。白のユニホームをまとった大阪朝高イレブンの入場とともに同胞の大歓声が場内を包む。立ち上がった大阪朝高の尹忠新教員の指揮のもと、大阪、神奈川朝高吹奏楽部員ら約50人の軽快な演奏が始まった。

 大阪朝高サッカー部にとって2年連続3回目の選手権大会が12時10分、始まった。

 「ヨンジー」「テユーン」。前線の選手がボールを持つと、手に汗握る同胞の声援にも熱がこもる。両校はシュート1本ずつで前半を互角で折り返した。

 金俊和主将のオモニ、韓潤貞さん(42)は気が気でない様子だった。「6年生の弟と家でじゃれているときと今日とは、息子の目つきがあまりに違って…」。横にいたアボジの金豊成さん(43)は、「同胞の熱烈な応援にぜひ応えてほしい」と後半への期待を込めた。

 しかし後半33分、「うわ!」の悲鳴とともに朝高のゴールネットが揺れた。まさかの失点。すぐに「チョーゴ団結! 最後まで!」という声援が飛ぶ。しかし数分後、無情にも試合終了のホイッスルが。うなだれる選手らが顔を上げ同胞応援席へ駆け寄り一礼すると、惜しみない拍手がわき起こった。

 金順花さん(45)は息子、朴帝宣選手の姿をいつまでも追っていた。「子どもたちは同胞に希望を与えてくれた。今流している涙は一生残り、生きていく励みになるはず」。大晦日のこの日、三ツ沢球技場を訪れた同胞らの惜しみない声援に「うれしかった」とほほ笑む金さん。そしてあふれる涙を拭った。

 四日市初中教員の「朝高ファン」金鐘哲さん(25)は、「来年も来る」と誓った。

 気温9度の寒さは熱気で吹き飛んでいた。まぶしい朝高生の一挙手一投足から「明日への希望」を得た同胞らの表情は、悔しさと熱闘への満足感で満ちていた。

[朝鮮新報 2007.1.4]