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〈北海道朝高ウエイトリフティング部物語A〉 託された夢〜才気溢れる豪腕・朴徳貴

数々の試練乗り越える「強さ」 朝高勢で初のインターハイ王者に

朴徳貴さん

 「アンニョンハシムニカ」。威勢のいい声とさわやかな笑顔で朴徳貴さん(24)は現れた。大きな体格がひと際目をひく。「これでも一回り小さくなったんですよ」。

 北海道朝鮮初中高級学校の中高級部時代、ウエイトリフティングにすべてを賭けた。1994年に朝高の全国大会出場が認められたあと、99年のインターハイで朝高勢初の金メダルを取った。朝日新聞の1面をカラーで大きく飾り、各スポーツ紙でも取り上げられ、時の人となった。高1、2年の全国選抜で金、高2、3年のインターハイで金を取って前人未到の4冠を達成した。

 朴さんは朝高を卒業後、早稲田大学に推薦入学。ウエイトリフティング部に所属し、大学2年時には釜山アジア大会にも出場した。そして「学校での思い出はウエイトリフティングしかない」と、当時の辛くも楽しい日々を振り返った。

 朴さんは中1からウエイトリフティングを始めたが、部が正式に発足したのは97年の中3の時だった。ウエイトリフティングを始めた動機は、「運動音痴で走るのが好きじゃなかった。それで男女の比率も半々の吹奏楽部に入った」。しかし、1週間が経ったある日、「中学生が運動しないとは何事だ!」とアボジに怒鳴られた。

 当時、アボジと仲が良かったウエイトリフティング部監督の金尋さん(52)に「うまく乗せられた」と笑う。「筋肉はつくし、大学にも入れるし、新聞にも取り上げられる。おまけに女の子にもモテるなんて言われて(笑)」。

1999年の岩手インターハイで朝高で初の金メダルを獲得した時の朴さん

 学校に練習場がないため、週6回、外の体育館で練習した。中1時の体格は163センチ、50キロと小さい。体にムチを打って何度も何度もバーベルを上げた。練習は厳しかった。「正直、何度もやめたいと思った。くじけそうな気持ちを支えてくれたのは、仕事を終えて、毎日熱心に指導してくれる金尋監督の情熱に報いたいという思いだった」。

 もう一人の恩師、姜信鎬さんの存在も大きかった。姜さんは、南朝鮮出身で現役時代はアジア選手権優勝、国家代表コーチ時代は五輪王者を輩出した。中央大学ウエイトリフティング部のコーチを経て、北海道朝高の専属コーチとなったのは98年からの2年間。

 姜さんには、徹底的にしごかれた。「筋肉痛でつらいです…」と訴えると、姜さんは「そんなの限界超えれば治るから」と一蹴。必死に食らいつくしかなかった。

 「トレーニングは理論で研究しつくされていた。この人について行けば強くなれると信じた」。世界を知る男にノウハウを叩き込まれた。

 自身を「運動音痴」と表現した当初の頼りない面影は、結果が出るたびに失せた。血のにじむ努力は2年後、大きく花開く。中3の夏、全国中学生ウエイトリフティング選手権83キロ級で日本中学生記録(注参照)を出して優勝した。

 もはや「朴徳貴」一人の戦いではなくなっていた。学校全体、ひいては同胞たちの期待の星だった。監督、コーチ、学父母らが夢を託した。

 「大阪朝高ボクシング部に先に金メダルを取られるな。やるなら必ず頂点を目指せ」−金太壌コーチの口ぐせだった。この頃、インターハイでメダルに一番近かったのはボクシングだった。

 そして99年3月、全国選抜で金、2冠をかけて同年の8月(高2)岩手インターハイに満を持して臨んだ。

 「高校最大のタイトルがこのインターハイ。ほかの大会とは重みが違った」。94キロ級でスナッチ115キロ、ジャークで145キロを挙げてトータル260キロで優勝。才気あふれる豪腕がもたらした快挙に全国の在日同胞たちは沸いた。

 高く突き上げた拳は、数々の試練に打ち勝った努力の証だった。朴を取り囲む報道陣と何度もたかれるフラッシュ。日本の高校スポーツ界、民族教育の歴史に大きな足跡を残した瞬間だった。

 「北海道をはじめ、全国の同胞たちの支えがあって頂点に立つことができた」

 勝ち続けることへのプレッシャーを跳ね除け、00年(高3)の全国選抜、インターハイでも金メダルを取った。その活躍ぶりから同年、NHK青春メッセージにも出演。「ただいま太もも70センチ」と題し、ひ弱だった自分がウエイトリフティングを通じてたくましくなっていった経験をユニークな語り口で披露し、審査員特別賞を受賞した。

 現在は都内の建築会社で営業マンとして働く。日本社会でもまれて生きる彼にとって、朝高時代のウエイトリフティングが「在日」のスタンスを忘れさせない。

 「ウエイトリフティングを通じて人に感謝する気持ち、目標に向かって努力すれば必ず結果がついてくることを学んだ。人生に何があっても乗り越えていける強さも学んだ。インターハイ制覇は自分一人の勝利じゃなく同胞みんなの勝利。お世話になった人に心から感謝したい」 (金明c記者=つづく)

 【注】朝鮮学校が「各種学校」資格のため、大会記録としては刻まれたが、日本中学新記録としては公認されなかった。これは大会記録を公認、管理する日本ウエイトリフティング協会のルールによるもので、学校教育法に定める学校「一条校」の生徒にしか記録が認められない。現在は、協会のルール改正で高校記録は公認されるようになったが、中学記録はいまだ公認されない。

[朝鮮新報 2007.1.17]