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大阪朝高女子ボクシング部員から見えるもの 監督、父母、選手「結ばれた強い絆」

 大阪朝高ボクシング部に女子部が創部されたのは2002年。同部の女子選手は全日本女子アマチュアボクシング大会の第1回大会から出場し、好成績を収めてきた。朝鮮学校では女子は初、中級部まで主に舞踊や吹奏楽の芸術系、バスケ、バレーボールなどの球技に所属する。朝高入学時にボクシングや空手などの「格闘技」に所属する選手は珍しい。女性選手たちは何を追い求めて部に入るのだろうか。一方、父母や監督の心境はどうだろう。そこから見えてくるものを探ってみた。

梁監督への信頼

梁学哲監督(右から2番目)と第5回全日本アマチュアボクシング大会に出場した女子部員たち。左端は応援に駆けつけた同部OBで朝大ボクシング部の尹成龍選手

 大阪朝高ボクシング部。日本高校ボクシング界ではすでに「名門校」。部で鍛えて頂点を目指したいと考える男子も多いが、女子も「ボクシングを始めたい」と思ってもおかしくはない。

 第5回全日本女子大会・実戦競技で準優勝した同部OGの金聖姫選手(19、看護専門学校)。ボクシングを続ける理由には、「ボクシングが大好き」のほかに、梁学哲監督との厚い信頼関係がある。金選手は普段、梁監督の前にいるとおとなしくなるが、一つ外に出ると本音をのぞかせてくれる。

 「梁先生について行けば、必ず強くなれる。梁先生の下での練習が一番いい」

 高級部時代、全日本大会に第2〜4回大会から出場。1年は演技競技(中量級)で金、2年は実戦で3位、3年時は実戦で2位となった。「これでやめたいと思わなかった」。

 卒業後、看護専門学校に通いながら、週3回は大阪のジム、週3回は大阪朝高、週1回は兵庫のジムで練習を続けている。周囲から「まだやっているの」と反対の声も多い。一番理解してくれるアボジ、オモニの支えもあって続けられていることにとても感謝しているという。

実戦競技に初出場した金美稀選手(中央)と両親

 「自分には遊びよりもボクシング。ボクシングをしていなかったら何しているかわからないくらい。人生を変えてくれたのが大阪朝高ボクシング部であり、梁学哲先生だった。真っ直ぐでいられるし、熱く語り合える仲間がいるのがとてもいい」

 梁監督も金選手が3年間で部を終えると思っていたが、卒業後もボクシングを続けるという情熱に報いた。

 「当初は正直、見込みなんて全くなかった」とにべもない。「それでも自分が努力してきたからここまで来られた。卒業してまでボクシングを続けたいなんて男子にもいない。情熱、姿勢は現役部員たちに本当にいい刺激になっているし模範的な存在だ」。

 金選手は「まだまだ続けたいけど、部の練習後の指導が迷惑なんじゃないかと思って…」と心配する。そのことがどうしても聞けずにいた。それで梁監督に本当のところはどうなのかを聞いてみた。「当たり前、苦じゃないですよ。努力する子はしっかり見てやりたい」。

 金選手は「金を獲って梁先生と両親に報いたい」、梁監督は「金を獲らせてやりたい」と思う。監督と選手の固い絆は、卒業後もしっかりと結ばれている。

選手の影響、父母へ

 初、中級部時代、舞踊部だった金美稀選手(2年)。第5回全日本女子大会、実戦競技の初戦で敗れたが「悔いはない」と笑顔を見せていた。

 応援に駆けつけたアボジの金昌満さん(44)、オモニの金泰枝さん(44)にもそれぞれ思いがある。

 金選手がボクシングを始めたきっかけは「新しいものにチャレンジしたい」と、部を見学してから。兄の金裕範さん(3年)もボクシング部だ。

 「2人ともまさかボクシングを始めるなんて思っていなかった」と語るオモニ。裕範さんも慣れ親しんだサッカー部をやめ、1年の夏からボクシング部へ。

 3年間、真っ直ぐに打ち込んだボクシング部のおかげで、「それまで多かった遅刻がなくなった。やらせて本当によかった」。しかし、女子となっては話が違う。「自分の娘がまさかと思ったけど、決心が固く渋々承諾した」とアボジ。今大会、娘の実戦競技の敗戦を見ながら、「心配はつきもの。それでも親が駆けつけることによって少しはそれが和らぐ」。そして試合を振り返り、「もうちょっとパワーがあったらよかった。やるからにはもっと続けてほしい」とハッパをかけた。

 アボジは息子、娘がボクシングをやっている影響で自身も5カ月前から始めた。3年生の引退試合では、息子と一緒にリングに立って試合をしたという。「朝大に行く息子と4年後、また試合ができれば」と笑う。ボクシングがまた一つ、家族の絆を強く結んでいる。(c)

[朝鮮新報 2007.2.28]