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第32回在日本朝鮮人籠球選手権大会 東京 2年連続男女優勝

それぞれの思い、コートで開花

 第32回在日本朝鮮人籠球選手権大会(主催=在日本朝鮮人籠球協会、主管=在日本朝鮮人東京都籠球協会、後援=在日本朝鮮人東京都体育協会)が6月30日から7月1日にかけて東京都江東区のBumB東京スポーツ文化館で行われた。男子8チーム(東京、埼玉、神奈川、愛知、京都、大阪、兵庫、朝大)と女子6チーム(東京、京都、大阪、兵庫、東京オンマーズ、朝大)が参加した。大会では東京が2年連続で男女アベック優勝を果たした。大会は2日間、「東京都籠球協会の新理事長を中心に、若いメンバーらのおかげ」(康勲・在日本朝鮮人籠球協会会長)で運営され、熱戦が繰り広げられた。

女子決勝、女王東京が15連覇

東京と兵庫の女子決勝

 女子決勝は14連覇中の女王・東京籠球団に兵庫籠球団が挑戦する形となった。東京は、ゾーンディフェンスを積極的に仕掛け、ボールを奪うと積極的に攻めつづけた。各クオーターを17−8、18−22、26−13、16−14で乗り切り、トータル77−57で競り勝った。実に15連覇の快挙を成し遂げた。

 東京は前回大会のスタートメンバーを含む経験豊かな4選手が、出産などで引退。自然と「うまいバスケ」から「走るバスケ」に切り替えて大会に挑んだ。ベテランが抜ける一方で団員は増え、18から28歳まで12人のチームは短い期間にまとまっていった。

 それでも「兵庫は強いと聞いていたので不安だった。試合中もきつかった。兵庫の平均身長が高かったので、リバウンドを意識した。気持ちで負けられなかった」と黄淑映主将(25)。「豊島区のリーグ戦でも若手メインで、走るバスケをめざしたい」と意気込んでいた。

 一方、2年連続で最優秀選手に選ばれたエース・康静愛選手(28)は、「自分たちの力が出せた」と安堵の表情を浮かべていた。

男子決勝、僅差で東京が制す

東京と大阪の男子決勝

 大会きってのシーソーゲームが展開された男子決勝。大阪を3点差で下し2連覇の栄冠を手にしたのは東京だった。

 大阪は序盤から3ポイントシュートを成功させ、第2クオーターまで50−37でリードした。

 「いつも通りプレーしよう。追いかけるほうが相手もプレッシャーになるはずだ」と盛り立てる東京ベンチ。追う東京が後半、ドラマを生んだ。

 東京は第3クオーターを前に変則ディフェンスに切り替えて雰囲気を変え、同クオーターを18−16で折り返した。しかしトータルでは55−66で負けていた。

 そして第4クオーター終了21秒前、東京がついに追いつく。16秒前には逆転。85−82という最終スコアが表示された電光掲示板が、観衆のため息を誘った。まさに大逆転劇であった。

 東京の「弼煥コーチ(55)は「日ごろの苦しい練習の成果を発揮できた」と走り勝てたことを、金勇来主将(28)は「層の厚さ」を優勝要因としてあげた。

 一方、大阪の金貴雄(主将)、呉尚秀、林海烈選手らは「悔しい。若手が着々と成長しているので、さらにバスケに打ち込んで団結し、良い青春時代を過ごしたい」と飛躍を誓っていた。

30代選手、16年間の籠球団生活

 「チームプレーを大事にする、うちの大黒柱。人望も厚いんだ」。東京の張徳義選手(34)が絶賛する男子最優秀選手賞を受賞した朴哲久選手(34)は日本の高校出身。朝銀(当時)に務めながら籠球団に所属していた日本の高校出身の上司に誘われ、入団した。

 19歳から始まった16年間の籠球団生活で、「友だち思いですべてに熱い朝鮮人」を知ったという。「人同士のつながり、一体感」にも魅了された。

 今大会を最後に30代の3人(張幸一、李英和、張徳義)とともに籠球団生活から身を引く。「後輩らのため。いつまでもいたら育たない。世代交代しないと」。笑いながら「おじさんバスケをやる予定」であることも打ち明けた。

 決勝では逆転シュートを決めた。焦りはなく、平常心であったが、「あきらめられなかった」という。

 「上手い下手とかじゃない。みんなで獲った最優秀選手賞。16年間、籠球団に支えてもらった」(李東浩記者)

【大会成績】

 ▼男子
 @東京籠球団A大阪籠球団B朝大
 ▼女子
 @東京籠球団A兵庫籠球団B東京オンマーズ

[朝鮮新報 2007.7.11]