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消された「朝鮮」の名

 1000年の都・京都には、世界遺産や国宝、重要文化財が、所狭しとひしめきあっている。その中に日本三大名鐘なるものが存在する。「鐘の神護寺」「姿の平等院」「音の三井寺」(別名=園城寺/大津市)がそれである。この、平等院と三井寺の梵鐘が「朝鮮銘」だと知る人は、はたしてどれくらいいるだろうか。

 私が初めて平等院を訪れたのは4〜5年前。国宝の「阿弥陀堂(鳳凰堂)」にうっとりしながらあたりを散策していると、それは美しい飛天の絵が刻まれた鐘が見えた。そばに「朝鮮鐘」の立て札が掲げられていて、胸に熱いものがこみ上げてきた。

 その後、再びここを訪れてみると、鐘は修復されていて、「朝鮮鐘」の札ははずされていた。展示館の中にレプリカが置かれているが、「和鐘」となっており、「朝鮮の影響が考えられる」と付け加えられていたのだ。何か言い知れない不快感と意図的なものが感じられて仕方がない。

 三井寺は、国宝「三井の晩鐘」でその名が広く知られている。しかし、寺院内にその姿はなく、代わりに吊るされた「弁慶の引きずり鐘」を、それと勘違いして帰る人がほとんどである。今は入場券でしかその姿を見る術はない。

 私たちの知らないところで、いつの間にか「朝鮮」という呼称や痕跡が一つ、また一つ消し去られていく。そして、そんな事実すら知らない私たちが、はたして民族性を尊ぶと言えるのだろうか。知らねば守れないということを、今一度胸にとめるべきではないだろうか。(陳美子、文芸同京都文学部長) 

[朝鮮新報 2007.3.23]