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「生きて、また会おう」!

 日本全国で行われる祭り、伝統行事のうち、朝鮮と関わりを持つものをあげると、際限がない。その中で、百済にまつわる悲しい祭りを紹介する。

 宮崎県東臼杵郡南郷村の「師走祭り」は、百済の亡命王族・禎嘉王一族を偲んだ祭りである。旧暦12月14日、比城町の比木神社から出発したご神体は18日、南郷村の神門神社に到着する。これを「上がりまし」という。両神社合同の祭りが開かれ、21日に比木の神様がお帰りになる。これを「下りまし」という。この時見送りに出る神門の婦人たちは、手に手に釜の蓋、鍋、しゃもじなどを持って振る(。別れに際して「さらば〜」と叫ぶと、「お〜さらば〜」と返す。何度も交わす「さらば〜」は、《紫虞坐(生きて会おう)》という朝鮮語なのだ。

 一家絶滅の悲劇を避けて、父の禎嘉王と二男の華智王一行は神門に、后と長男の福智王一行は比木へ定住する。しかし、追討軍により一族は神門で最期を遂げる。この最期の日まで、長男の一行は師走になると、毎年祖先の祭祀をするために父王を訪ねて神門へ上ったのであろう。生きて会える確信のないまま、それでもなお互いの無事と再会を祈って、切々たる思いで交わした「さらば〜」。在日同胞もまた、故郷を後に異国の地・日本へ向かう日、幾度と無く叫んだであろう別れの言葉。けれども、再会を果たすことなく、この地に露と消えた多くの1世たちを思うと、胸が押しつぶされそうになる。悲しい由来を知らない人々の手で、今も祭りは続く。(陳美子、文芸同京都文学部長)

[朝鮮新報 2007.4.21]