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〈解放5年、同胞スポーツ事情−下〉 マラソン覇者・孫基禎らと交流

盛んなスポーツイベント

 解放から4〜5年の間は占領下で社会的な混乱も想像を絶していたが、在日同胞は同胞組織をつくりさまざまな活動を展開してきたことをこの連載記事で何度も記してきた。在日同胞の体育スポーツ活動も日誌で整理してみると、正確性はさておいても45年12月頃から49年末頃までにおいても競技大会や運動会などを多彩に繰り広げている。在日同胞の新聞に広告は出ているが、その結果が載っていないことなどもあるので確かめることができない。例えば、解放新聞関西版(46年10月5日付)では全日本朝鮮人蹴球大会が10月18〜22日の5日間、明石運動場で開催されるとなっているが実行有無、結果もわからない。また、民衆新聞社と大衆新聞社が46年に編さん発行した貴重な写真集「解放」には、第1回全日本朝鮮人体育大会が朝聯大阪府本部、建国促進同盟、大衆新聞社などの後援で行われた写真が載っているが詳細は不明である。しかしながら同胞の住むところどころで盛んにスポーツが行われていたようである。

 解放の年の12月には大阪と東京で朝聯など当時の朝鮮人団体がボクシングの公式試合を主催したと聞いているが具体的な裏づけを探せなかった。

初の全国大会

48年近畿地方サッカー大会(真田山グラウンド)

 在日同胞の体育スポーツ行事が行われた単位をみると、全国、地方ブロック、県、地域(支部)、学校などであった。

 初めての全国大会は、46年4月15〜17日に東京・後楽園で行われた、第1回全国朝鮮青年蹴球大会であった。ここには、学生同盟A、学生同盟B、大阪A、大阪B、大阪C、大阪D、福島、3.1学院、神奈川、千葉、長野、埼玉、兵庫、愛知、宮城、栃木、東京A、東京Bの18チームが参加、朝鮮青年の意気を発揮したという(朝聯第3回全体大会、青年部活動報告書)。また地方ブロックでは、第13回京阪神朝鮮人蹴球大会が西宮蹴球場で9月30日から3日間行われている。京阪神蹴球大会の継承かどうかは不明だが、近畿では49年4月に「教育闘争1周年記念第3回近畿地区蹴球大会」が11チーム参加して真田山運動場で開催されている。北信5県蹴球大会も5チームが参加して行われた(民青時報47年11月15日付)。

 地方単位では東京での運動会が盛大であった。46年7月の「朝聯青年大運動会」は朝聯東京都本部が朝聯中総と朝鮮人商工会の後援を受けて、2万余人が参加、20競技が行われた(民衆新聞46年7月15日付)。また48年5月には東京都内の朝鮮民主団体が共催で統一政府樹立促成大運動会を1000余人の学童と2万余人の同胞参加の下に開いた。当時新聞の記事からは三多摩、神奈川、茨城、長野、埼玉、岡山、福岡、富山、新潟、広島などほとんどの県と地域でスポーツ行事が行われていた。

 スポーツ行事の目的というか契機はどうであったか。上記後楽園での運動会では、在留同胞青年の健全な精神と身体の育成と同胞への安らぎを兼ねて組織したとなっている。各地でのスポーツ行事もほとんどそうであったと思う。それとともに解放直後は6.10万歳事件や阪神教育闘争あるいは統一政府樹立促成、共和国創建後にはそれを祝賀する行事などの一環として民族的課題、同胞の課題解決と絡ませて運動会などを開催したといえよう。日米当局の弾圧を受けたが、学同国旗事件は共和国創建を祝賀して共和国の国旗を掲揚してすぐに降ろした学生同盟の運動会であった(後にそれが大問題となり軍事裁判にかけられた)。

同胞の一体感

 当時の競技の種類は、蹴球、野球、朝鮮シルム(一名朝鮮脚戯大会)、庭球、卓球などの球技と陸上競技などであった。

 朝聯時代の体育スポーツで当時のウリハッキョの役割と運動会は重要な意味を持った。49年9月の朝聯強制解散後は学校の運動会が主なスポーツ行事になった。昨今、駅伝が人気スポーツの一つだが、49年12月、東京朝高マラソン選手団が全日本高等学校駅伝競技に参加するための合宿訓練(大阪)に参加していたことも記録にとどめる。

 47年4月ボストンで開かれた世界マラソン大会で世界新記録(2時間25分39秒)を出して優勝した徐潤福選手と往年の覇者孫基禎、南昇龍が故郷に帰る途中日本に寄り、6月16日には朝聯と民青を訪問、17日の各団体共同主催の帰国歓迎会に参加した(朝聯第4回全体大会文教局活動報告)。

 解放直後のスポーツ大会などの映像は「朝聯ニュース」3号(朝鮮独立祝賀大運動会=横浜)、7号(朝聯青年運動大会=東京、レスリング大会=大阪)でみることができる。

 解放直後の体育スポーツは今日のような中央組織・体連のもとにすすめられるというよりも、分散的で自然発生的な面が多く、解放同胞の一体感がはかられる場となったといえるのではないか。(呉圭祥・在日朝鮮人歴史研究所部長)

[朝鮮新報 2008.2.15]