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同胞4人の遺骨、60余年ぶり家族のもとへ

北海道、朝鮮人強制連行犠牲者 市民ら参加し追悼法要、各地から弔辞、募金

肉親の遺骨を抱きながら、追悼法要に臨む遺族ら

 日本の植民地支配時代に朝鮮から強制連行され北海道で犠牲となった朝鮮人4人の遺骨が2月26日、道内の市民らの尽力で60余年ぶりに遺族に返還された。4人の遺骨は2日後の28日、遺族と僧侶、支援者ら200人以上が見守るなか、南朝鮮・天安市の「望郷の丘」に埋葬、納骨された。

 今回、返還されたのは、室蘭市の光昭寺に保管されていた鄭英得さん(死亡当時16歳)、李廷基さん(同15歳)、具然錫さん(同17歳)、赤平市の宝性寺に保管されていた趙龍文さん(同38歳)の遺骨。いずれも本籍地は慶尚南道。鄭さん、李さん、具さんは日本製鐵輪西製作所で強制労働させられていた1945年7月15日、米軍の艦砲射撃の犠牲になった。同年10月27日に亡くなった趙さんは、北炭赤間炭鉱で坑内運搬員として働かされていたと推定されている。

 返還に先立ち、光昭寺と宝性寺で追悼法要が行われた。遺骨返還に尽力した地元の市民と在日同胞らが参列し、犠牲者を弔った。日本の生徒らも弔辞を述べた。

室蘭市の光昭寺での追悼法要(2月17日)

 24日には札幌市の本願寺札幌別院で追悼法要と集会が開かれ、遺族と市民ら約200人が参加した。国籍、民族、宗教を超えて集う市民団体「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」が主催。6回目となる。

 鄭英得さんの弟・相得さん(60)は、「みなさんのおかげで(80代の)姉の生存中に遺骨を受け取ることができ、ありがたく思っている」と感謝した。同時に、「まだ多くの遺骨が残っている」と語り、日本政府や関連企業が積極的に遺骨調査、返還に取り組むよう訴えた。

 遺骨返還に際し、全国各地から弔辞や遺骨の早期返還を願うメッセージ、募金が寄せられた。

 趙さんの遺骨の返還に尽力した赤平高校郷土史研究会を代表し、宝性寺での追悼法要で弔辞を述べたある生徒は「赤平に数ある炭鉱にたくさんの人が強制連行され、大変な目にあったことは、日本人としてしっかり受け止めなければならない。事実を知ってショックだったが、悲しい歴史が繰り返されないよう、しっかり学んでいきたい」と述べた。

日本政府、関連企業の参加なし 今後も遺族探し継続

 遺骨が確認されて以来、「北海道フォーラム」など市民団体は、「遺骨は遺族のもの」との立場から誠意をもって返還しようと遺族探し、犠牲者の死亡原因究明、強制連行の実態調査などを行ってきた。

 現在、「北海道フォーラム」は110余人分の遺骨の存在を確認しており、なかには創氏改名により本名は不明だが本籍地が朝鮮半島北部である遺骨もあるという。今後も遺族探しを続け「遺骨を遺族の手元に届けられるよう取り組んでいく」という。

 一方、日本政府や関連企業はこれまで協力要請を実質無視し問題を放置してきた。今回も外務省、新日本製鐵から弔電などが届けられたものの、関係者の参列はなく謝罪もなかった。誠意ある対応が求められている。【北海道フォーラム】

[朝鮮新報 2008.3.7]