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〈インタビュー〉 布施辰治と朝鮮 孫の大石進・日本評論社会長に聞くC

弱き立場の人に心を寄せて

−04年、韓国政府から布施辰治先生に「建国勲章」が贈られました。

 大石 信じがたいことという思いがあります。弾圧された民族が弾圧した国の人間を顕彰しようということが。喜ばしいのは、民間から顕彰の動きが始まったということです。MBCが朴烈のことを扱ったドキュメンタリーを製作する折に布施辰治との関わりに興味を持ち、布施のドキュメンタリー企画を組み、00年の3月1日の前夜に放映したということと、鄭さん(鄭o泳・歴史教訓実践汎市民連合代表)が布施辰治の業績を発掘する活動を続けてこられたことが大きい。

 それが国家による顕彰につながったのは、韓国社会の変化によるものでしょう。一昔前なら社会主義者として捉えられて、こんなこと不可能だったでしょう。

 受勲に当たっては、東京の大使館で勲章を授与されました。非常に嬉しいこと、ありがたいことなのだけれど、本当を言えば南と北が一緒になってから頂戴したかったということを、私は叙勲のさいお礼の言葉として述べました。そういう形で頂けたらどんなに良かったことか。

−布施辰治は社会主義者と捉えていいのか? トルストイの思想にも強い影響を受けたと聞いているが。

 大石 彼はまず弁護士であり、彼にとって社会主義は弱者救済のための武器であったと思います。朝鮮の独立運動家の中で社会主義を独立の武器として捉えた人が多数いたように。

 共産党にも入っておらず、資本論もおそらく読んでいないでしょう。その意味でマルクス・レーニン主義に則って動いた人ではありません。

 あの頃の日本の心ある若者にとって、キリスト教、トルストイ、そして社会主義という思想の進路は、一般的であったのです。彼もまたその道を歩みましたが、彼の思想遍歴で特徴的なのは、前の思想を否定して次に進むのではなく、前の思想の上に重複する形で次の思想を獲得していくという点です。だから最後まで彼はトルストイアンでもあったけれど、それを強調するのは正確とはいえません。1914年生まれの三男に杜生の名をつけたのは、第一次大戦と関係があるかもしれませんね。彼が生まれたのは、大戦勃発ほぼ2カ月後で、トルストイの平和主義が強調されていたときですから。

 布施辰治は何よりもまずヒューマニズムの人だったのです。

 実は私は長年、自分の祖父が布施辰治だということを表に出さないで暮らしてきました。一つは社会人として生活するうえで、カミングアウトはプラスにならなかったからです。それともう一つは布施辰治によって自分を規定されたくはないという気持が強かったのです。

 それでつい最近まであまり布施のことを自ら進んで話すこともなかったのです。話をふられても、「いやあ、しょうがないおじいさんでね」とか言った話だけしてね。

 また、つい最近まで心の中でひっかかっていたことがありました。1948年の秋田で起きたドブロク事件に関してですが、私は布施がその弁護のために大館行きの汽車に乗るために家を出るとき、たまたま布施の家にいて、布施が、一等でしたか二等でしたか、今でいうグリーン車に乗って行くが、降りる時は三等車両から下りるのだと話しているのを耳にしたんです。

 その時、中学生の頃ですね、私はまた何の事件で誰の弁護に行くかも知らないままに、そんな手練手管を使うのか、偽善者じゃないか、民衆の味方づらをして、と許しがたく思ったものです。

 そのため布施について話すとき、奥歯に物が挟まったような話しかできませんでした。それが、3年前の明治大でのシンポジウムで辛さん(かつて布施の世話になったという辛昌錫さん)の話を聞いて、そうか、あの大館への出張は朝鮮人のためだったのだ。ドブロクを作って売ることによって生計を立てるしかない貧しい人たちの弁護に行くのだ、彼らは三等車の交通費を負担するので精一杯なんだ。彼らに負いめを感じさせないための配慮だったのだ、と認識を改めることができたのです。

 何十年ものあいだ、許しがたいと思っていたことが、実は誤解だったということを最近知って胸のつかえがなくなったのです。

 それで、最近になって私も正面切った話をしようと思うようになってきたのです。

 また、もう私も歳ですし自分がどう見られるかとかあまり気にせずともいいかとも思いました。そして今、布施のことを話すことが少しは世の中のためになるのではないかという思いも強くなってきたのです。まわりの人からの勧めもあってね。身内だからといって遠慮しないで話そうという気持ちになってきたのです。

−最近、「北バッシング」が続く中、民族団体や朝鮮人に対する人権侵害としか言いようのない事件などが民間のみならず、行政が主導する形でも起きている。今の日本の状況についてどのようにご覧になられていますか?

 大石 何も変わってないという気がする。関東大震災の時の虐殺も流言が流れたということだけでなく、ただ朝鮮人であるがゆえに殺されたという気がしているのです。うわべだけ変わっているようだが、北朝鮮バッシングもまったく同じ心理からなされているように思えます。このバッシングが、なにかのきっかけで、韓国人を含めた朝鮮民族全体に広がる可能性もあると思っています。もっと可能性が高いのは、「過激派」を理由としたイスラムいじめではないでしょうか。昔なら対外侵略で内政の不安をごまかしたところでしょうが、現在はそうはいきません。今度震災が起これば、朝鮮人のみならず歌舞伎町なんかでは他の外国人も酷い扱いを受けるのじゃないかと非常に心配ですね。ことにあの知事の下では。

−最後に、若い人たち、とくに法曹の人たちへのメッセージを。

 大石 私がそんなことを語るのは、おこがましいですよ(笑)。

 布施のことなど知らなくても、真面目に真実をみて、弱き立場の人たちに心を寄せて仕事をしていただければ必然的にいい仕事をすることになるんじゃないかと思います。

(聞き手=金東鶴・在日本朝鮮人人権協会事務局長、「人権と生活」07年冬号)

=おわり

[朝鮮新報 2008.3.17]