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「上から目線」

 2月26日に行われた米国の交響楽団ニューヨーク・フィルハーモニックの平壌公演。核問題の解決をめぐる6者会談の進展にブレーキがかかる中、筆者にとっては、ここ最近で一番心躍るニュースだった。

 普段は厳しい欧米メディアもおおむね肯定的な報道が多かった。それだけに、日本のメディアの否定的な報道姿勢に違和感を感じざるをえなかった。一言で言って、「上から目線」の報道で一貫していたように思う。

 「周到に演出された政治的ショー」「米国の音楽にとまどう聴衆」「公演会場に集まった人びとの中に一般市民は少なかった」などなど。取材した個々の事実関係以前の問題として、報道自体が悪意に満ちたものに感じることがしばしばだった。長いあいだ敵対関係にある両国が音楽を通じて交流を始めた意味を、たとえそれが限定的なものであったとしても、なぜ素直に評価しないのだろうか。

 問題は朝鮮報道だけにとどまらない。日本メディアの全般的な報道が、特権的な立場から見下ろすような「上から目線」になっているように思える。

 記者というのはある意味特権的な立場にいるのかもしれない。かくいう筆者自身の文章も、知らず知らずのうちに「上から目線」になっていないかと自問してみる。

 これからは常に「下から目線」を心がけよう。この場を借りて宣言したい。

 「上から目線」と「下から目線」の報道。さあ、どちらが強いか勝負しようじゃないか。(相)

[朝鮮新報 2008.3.24]