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〈point de vue 私はこう見る-2-〉 裁判員制度

「公正な裁判」の危機

 1年後に裁判員制度がスタートする。この問題を考えるうえで、大きくは二つのことに言及する必要がある。

 一つは、現在の司法について。

 まず、市民団体のメンバーが立川の自衛隊官舎に自衛隊のイラク派遣反対のビラを配布しようとしたところ、住居侵入で起訴された事件の最高裁判決が4月11日、言い渡された。憲法上の表現の自由に関する重要な論点を含む内容であったにもかかわらず、慎重な判断が行われないまま違憲ではないとして有罪判決が下された。

 次に、名古屋高裁は4月17日、航空自衛隊のイラク派遣について一部違憲との判断を下した。原告側の派遣差止請求などは認められず原告敗訴という形にはなっているが、原告側が上告をしないことで「一部違憲」という判決が確定したことになる。

 最後に、朝鮮総連中央本部に対する固定資産税訴訟の控訴審判決が4月23日言い渡された。具体的内容については本紙に言及があるので省略するが、判決文を見るとまさに「結論ありき」の内容となっており、結論を導くにはあまりにも苦しい論法を使わざるをえないという感が否めない。

 以上3つの判決について簡単に述べたが、そこにはギリシャ神話の法の女神テミス(最高裁に像が置かれている)に象徴されるような、「正義」「衡平」「不偏」の裁判所の姿は見られない。

 もう一つは、光市母子殺害事件と関連したマスコミの対応について。

 4月15日、BPO(放送倫理・番組向上機構)は光市母子殺害事件のマスコミ報道と関連し「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」を発表した。一部を引用する(詳細はBPOホームページ参照)。

 「…ほぼすべての番組が、『被告・弁護団』対『被害者遺族』という対立構図を描き、前者の荒唐無稽と異様さに反発し、後者に共感する内容だったことはすでに指摘したとおりだが、反発と共感のどちらを語るときも、感情的だった…」「…裁判員制度の導入が目前に迫っている。一般市民が裁判員となり、裁判官といっしょに刑事事件被告の有罪無罪や量刑を決めることになる。制度導入は『裁判を身近で、わかりやすいものにするため』とされているが、少なくともそれは、好き嫌いや、やられたらやり返せ式の実感を裁判に持ち込むことではないはずである。それでは、法以前の状態への逆戻りである。だが、テレビはいま、そうしたゆきすぎた実感の側に人々を誘い込んでいないだろうか…」

 日本国憲法32条には「裁判を受ける権利」が規定されており、国際人権規約には「すべての者は、裁判所の前に平等とする。すべての者は、その刑事上の罪の決定又は民事上の権利及び義務の争いについての決定のため、法律で設置された、権限のある、独立の、かつ、公平な裁判所による公正な公開審理を受ける権利を有する」(市民的及び政治的権利に関する国際規約14条)と規定されている。

 朝鮮と総連に対する悪意ある報道、外国人嫌悪の報道があふれるなか、私たちの「裁かれる」権利は侵害されつつあるのではないか。(崔永昊、朝鮮大学校経営学部助手)

[朝鮮新報 2008.5.19]