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〈関東大震災下の朝鮮人虐殺問題-5-〉 内務省の組織的伝播で自警団発生

 B流言の伝達

 大震災の朝鮮人虐殺事件でまず問題になるのは、大虐殺の直接の契機となった「朝鮮人暴動」流言は誰の発想になり、誰が発布し、どう伝達されたのか、ということである。

 朝鮮人暴動流言とその伝達については、今日までの研究では、大きくみて三つある。@官憲説、A民衆自発説、B官民同時発生説である。そのいずれの説にも、かなりの説得力があるのを認めるのに吝さかではないが、日本政府が真に有効的な措置をとらず、一定の限度まで、虐殺容認の姿勢でいたことを考慮すると、やはり@の官憲説に落ち着かざるをえない。

千住警察署での収容状況(1923年9月10日)

 私はこの問題の決め手になるのは、当時、誰がこの種の流言を切実に欲していたのか、この流言の結果により、誰がどのような政治的な利得を得たのか、という政治的利害と直接結びつくところにあると思っている。

 日本政府の流言伝達についていえば、ごく初期は別として、政府の公的な流言伝達方法は二つあった。その一つは無電である。震災で電話は不通となり、この時期ラジオはなかった。あったのは、千葉船橋の海軍無線送信所だけである。内務省警保局長名で全国の「各地方長官宛」(全国の府県知事)に発せられた第一報は次のようなものである。

 「東京付近の震災を利用し、朝鮮人は各地に放火し、不逞の目的を遂行せんとし、現に東京市内に於いて爆弾を所持し、石油を注ぎて放火するものあり、既に東京府下には一部戒厳令を施行したるが故に、各地に於いて充分周密なる視察を加へ、鮮人の行動に対しては厳密なる取締を加へられたし」

 文面は、朝鮮人が放火しているから戒厳令を布いたとなっている。水野の証言とピッタリ一致するのである。

 この第一報は千葉の海軍船橋送信所から発せられた。この電文に内務省治安担当者の乾坤一擲の執念がこめられているのに気付くのはそう難しいことではない。ここで、はっきりしているのは、この第一報に「朝鮮人は各地に放火し」とあるように、政府の組織的な流言伝達は、朝鮮人虐殺と直接結びついたということである。警保局長はきびすを接するように「不逞鮮人」の放火等に関する電文を幾つも送っている。第一報は、呉鎮守府副官あてに打電されたもので、日時は9月3日午前8時15分である。ところが、その15分後の8時30分に今度は在朝鮮の鎮海要塞司令部副官あてに打電しているが、これは朝鮮総督府警務局長にあてたものである。

 「鎮海要副官宛  九月三日午前八時三十分了解

 朝鮮総督府警務局長宛  内務省警保局長 出

 東京附近の震災を利用し、在留鮮人は放火、投擲等、其他の不逞手段に出んとするものあり。既に東京府下には、一部戒厳令を施行せるを以て、此際朝鮮内、鮮人の動静に付ては厳重なる取締を加へられ、且内地渡来を阻止する様、御配慮を頂度」

 見られるように、後藤警保局長は、朝鮮総督府に朝鮮人の放火、爆弾投擲を知らせ、朝鮮内の朝鮮人動静に注意を促すだけでなく、日本渡来を阻止するよう要請したのである。

 また数時間後には、山口県知事あての電報を発し、下関で朝鮮人の「内地」上陸を阻止するよう要請する。

 これを受け取っては、朝鮮人暴動を信じない方がおかしいはずである。

 いま一つは、電文ではなく、関東各県(今のところ埼玉県)に朝鮮人暴動を取締りを直接伝達したものである。

 「通達文 東京に於ける震災に乗じ暴行を為したる不逞鮮人多数が川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、又、其間過激思想を有する徒之に和し、以て彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び漸次其毒手を揮はんとする虞有之候、就いては此際警察力微弱であるから町村当局者は、在郷軍人分会、消防手、青年団員等と一致協力して其警戒に任じ、一朝有事の場合には速やかに適当な方策を講ずるやう至急相当手配相成度き旨、其筋の来牒により此段移牒に及び候也」

 この通達は、埼玉県が内務省の命令を受けて、管下の各町村に出したものである。

 埼玉県の場合、永井柳太郎の国会質問によると、埼玉県の地方課長が9月2日に東京の本省と打合わせ、午後5時頃帰ってきて香坂内務部長に報告したものである。香坂は友部警察部長と相談してこの通達文を作り守屋属兼視学をして県内の各郡役所に電話を以て急報し、各郡役所は文書と電話とで各町村に伝えている。

 それにしても「一朝有事の場合には速やかに適当な方策を講」ぜよと指示しているが、これは朝鮮人殺しを官許したものである。

 当時の本庄町の町会議員で、1957年当時の本庄市長、中島一十郎氏は「本庄町では郡役所の門平文平氏ら幹部などが県庁からの達しだといって消防団や在郷軍人分会などにそれを事実として伝え、対策に乗り出すように指示した」(埼玉新聞1957年9月2日付)と語っているが、内務省によって流言は組織的に伝播され、これによって自警団の発生を見るようになるのである。(琴秉洞、朝・日関係史研究者)

[朝鮮新報 2008.7.2]