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東京で関東大震災85周年追悼シンポジウム 朝鮮人虐殺の真相調査を

「事件を隠ぺい、わい曲してはならない」 日本政府に強く求める

 関東大震災85周年「朝鮮人犠牲者追悼シンポジウム−事件の真相究明と被害者の名誉回復を求めて」が同シンポ実行委の主催で9日、東京・神田のYMCAで開かれ、約300人が参加した。

 シンポではまず、虐殺された数千人の犠牲者を追悼して黙祷が行われた後、松尾章一・同実行委員長(法政大名誉教授)が開会のあいさつを述べ、次のように指摘した。

シンポの会場のもよう

 「関東大震災でいわれなくして虐殺された数千人−虐殺された人々の数を確定できないことの責任は、被害者の側にあるのではないことを、私たちは決して忘れてはならない−のぼる朝鮮人とその遺家族たちの名誉回復をぜひとも実現させなければならない。そのためにはまず第一に、日本政府がこれらの朝鮮人被害者に対して真摯に謝罪し、二度とこのようなことを繰り返さないため、真相を隠ぺい・わい曲するのではなく、明らかにすべきだ」

 続いて、4人のパネラーが五つのテーマで報告を行った。

 まず、南の徐紘一・ハンシン大学教授が「3.1運動とその後の植民地統治の実相」と題して報告した。

 同教授は、日帝植民地支配下の35年間、どの被圧迫民族よりも粘り強く民族解放闘争を展開したが、中でも3.1運動は全民族的な運動であったと指摘、「朝鮮民族が日本の統治を喜んで受けている」と主張してきた日帝の宣伝が嘘であったことを一気に暴露したとその意義を強調した。

 さらに、関東大震災が発生し、日帝が朝鮮人を集団虐殺したのは、3.1運動とその後の民族解放運動の大きな発展を目の当たりにして「朝鮮人を虐殺することなくして植民地統治を引き続き維持することは不可能」との判断からであったと考えられると述べた。

 続いて山田昭次・立教大学名誉教授が「朝鮮人虐殺事件の歴史的意味」について語った。

 同教授は、この虐殺事件は、朝鮮人虐殺とともに、生誕したばかりの日本人と朝鮮人の連帯に対する攻撃・迫害という意味を持っていたと述べ、この事件の前夜に当たる1923年のメーデーに際しての在日朝鮮人・日本人社会主義者に対する警視庁の大弾圧に引き続くものであったとの見方を示した。その結果、日本人社会主義者は朝鮮人との連帯をすべて放棄したのではないが、しかし、自警団に加入せざるをえない苦境に追い込まれた、と述べた。

 姜徳相・滋賀県立大学名誉教授は「虐殺再考、戒厳令なかりせば」と題して報告し、1920年10月の日本の間島侵攻軍に独立軍と一般市民の区別がなかったこと、すなわち朝鮮そのものが不逞の敵であり、日本軍の支配下にあって日本の秩序に従わない「異端」は即決処刑するという、戦争の論理が貫徹されたと指摘。この認識は関東大震災時の日本政府の戒厳令発布、戒厳軍、憲兵、警察の朝鮮人敵視(恐怖)の認識に継承されたと述べ、次のように指摘した。

 「軍隊、警察のみならず、日本人庶民諸侯もまた偏見、差別の持ち主であった。自警団の主体となった在郷軍人、消防団員、青年団のメンバーをはじめ町の八百屋や魚屋、豆腐屋のおじさんたちはみな甲午清日戦争、露日戦争、義兵戦争、シベリア戦争、3.1大虐殺、間島大虐殺に参加した日本軍兵士の軍歴を持ち、『明治』以降の日本のマスコミの朝鮮蔑視、敵視の風潮に染め上げられていた忠実な天皇教徒であった」

 近代史研究者の琴秉洞氏は「朝鮮人虐殺に対する日本側と朝鮮人の反応」について述べ、「朝鮮人大虐殺は一般日本人の対朝鮮認識だけでなく、対アジア民族認識に決定的な影響を与え、アジア侵略戦争時の大量虐殺につながっていった」と強調した。そして作家の宮沢賢治、キリスト者の内村鑑三らの例を挙げ、この虐殺事件について賢治は「消極的肯定型」、内村は「全く触れず型」だと指摘し、「朝鮮人暴動説」をそのまま受け入れ、虐殺事件を黙認した事実について触れた。

 最後に山田昭次・立教大学名誉教授が「朝鮮人虐殺事件の国家責任・再考」と題した報告を行った。

 シンポでは日本政府に対し、85年にもわたって朝鮮人虐殺の真相を隠蔽してきた態度を深く反省し、事件の真相調査と犠牲者に対して謝罪するよう強く求める声明が発表された。

 この日、会場では虐殺事件を小学校4年生の時、目撃した八木ヶ谷妙子さん(94)が証言し、「私は朝鮮人が虐殺される姿をたっぷり見た。朝鮮民族は国を奪われ、土地を奪われ、すべてを奪われ、踏みにじられ、苛められ、生きる糧を奪われた。日本に来てからは命まで奪われた。今、私が言わなければ、無念に奪われた魂は浮かばれない。私は(犠牲になった)あなた方と共に永遠に生きていきます」と述べた。(朴日粉記者)

[朝鮮新報 2008.8.22]