関東大震災85周年 朝鮮人殉難者追悼式 東京・荒川河川敷に同胞、日本市民ら200余人 |
「埋もれていく歴史に良心の光を」
関東大震災のあと、軍や官憲によって「朝鮮人が暴動を起こす」などの流言飛語が流され、軍・官憲とそのデマを信じた民衆らによって、関東一円で数千人の朝鮮人が虐殺された。その一つの現場が開削工事中の東京・荒川にかつてかかっていた旧四ツ木橋周辺。 6日、その受難の現場である、現在の墨田区荒川河川敷木根川橋下手で、「関東大震災85年韓国・朝鮮人殉難者追悼式」が約200人の同胞、日本の市民らの参加の下、営まれた。 追悼式では長年、真相究明に取り組んできた「グループほうせんか」の西崎雅夫代表があいさつに立った。同氏は26年前に「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」を立ち上げ、犠牲者の追悼と事件の真相究明に尽力、今年2月24日に死去した絹田幸恵前代表の準備会結成のよびかけ文を紹介した。 「殺された朝鮮人の遺骨をできるだけ早く発掘し、その霊をなぐさめ、真実を明らかにし、再びこのようなことのないように、消えない記録をのこしたいと思います。そして、民族や平和の問題を私たち一人ひとりの大事な問題としてこれからも考えていきたいと思います。埋もれていく歴史を掘り起こし、良心の光をあてていく『共同のしごと』に、どうかみなさん、お力をかしてください」
同氏は絹田さんの遺志を受け継ぎ、事件の風化を防ぎ、次の世代に歴史を伝えていこう、と語った。 続いて「追悼の会」の矢野恭子代表があいさつに立ち、「長年、歴史の闇に葬られてきたこの虐殺事件の真相が地域のお年寄りたちの目撃証言などによってやっと伝えられるようになった」と指摘した。しかしその後、歴史の風化を防ぐ追悼碑の建立などの協力を求め墨田区議会に陳情したが不採択となった、河川敷の八広水辺公園にむくげ植樹の要望をしたが、「期待に添えない」と言われた、さらに国から河川敷(国有地)からむくげの花壇を2010年までに撤去するように申し渡された事実に触れた。 同氏はこうした現状を踏まえて、有志の手によって旧四ツ木橋のたもと近くにささやかな土地を購入したことを明らかにし、一年後の追悼碑建立と世代を越えた管理のため、多くの人の協力・支援をよびかけた。 続いて、墨田区の多聞寺住職の岸田正博さんがあいさつし、「85年前、多くの朝鮮人が地震ではなく、日本人の手によって殺された。しかも、その後、この事実がきちんと伝えられてこなかった。日本はこの間、何をして、何をしてこなかったのか。今こそ心に刻むことが大切である。世界では報復戦争やテロなどが絶え間なく起きているが、流言飛語などで心を失ってしまうと、また、同じ過ちを繰り返す恐れがある。間違った動きにはいっそう警戒心を持つべきだ」と語った。 長年、事件の真相調査に取り組んできた山田昭次・立教大学名誉教授があいさつし、日本の国家責任について、震災時に朝鮮人が暴動を起こしたという誤認情報を流して朝鮮人虐殺を引き起こし、さらにその責任を認めず、事件そのものを今日まで隠ぺいしてきた点にあると指摘、さらに、「日本の民衆が朝鮮人虐殺の自己責任をあいまいにしたのでは、日本国家が虐殺責任を認めて謝罪するはずもない」と断罪した。 追悼式では歌手・李松子さんのアリラン、鳳仙花の歌声に合わせて、河川敷に設けられた仮設の祭壇に参列者が献花した。(朴日粉記者) [朝鮮新報 2008.9.10] |