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〈論考D〉 朝鮮の「人民憲法」制度

全人民の総意を反映

 朝鮮民主主義人民共和国の憲法は、人民の総意に基づいた世界に類を見ない、文字通り「人民憲法」である。建国60周年に際し、その制定過程について研究するなかであらためて実感した。

 一般に、憲法は国家の基本法であり他の部門法の立法的基礎である。憲法をみれば、その国がどういう国なのかを一目で理解することができる。その意味では、「人民憲法」はまさに朝鮮がこれからどのような国づくりをしていくのかを規定した基本法であった。

「人民憲法」制定までの経過

1947年11月18日 憲法制定委員会組織
1948年2月7日 北朝鮮人民会議第4回会議、全人民的討議の実施を決定
〜4月25日 「臨時憲法草案」に関する全人民的討議
28〜29日 北朝鮮人民会議特別会議、憲法草案を満場一致で支持
7月9日 北朝鮮人民会議第5回会議、「憲法実施について」採択
10日 中央選挙委員会結成
8月25日 最高人民会議代議員選挙実施
9月8日 最高人民会議第1期第1回会議、憲法採択

 1948年当時、朝鮮では民主改革の推進をはじめ、憲法を制定しうる政治的、経済的基礎が構築された反面、米国の南朝鮮占領による朝鮮半島分断、民族分裂の危機という情勢のなかで、民主主義人民制度を強固なものとし、統一的民主主義人民共和国を創建することが切実に求められていた。

 そうしたなか、47年11月18日に憲法制定委員会が組織され、同20日には、金日成主席の報告「民主主義的であり人民的な憲法を制定しよう」が発表された。そして、北朝鮮人民会議第4回会議(48年2月7日)での決定を経て、48年2月中旬から4月25日にかけて、北南朝鮮のあらゆる人民の要求と利益に応じた民主主義的憲法を制定し民主主義統一政府を樹立するため、「朝鮮民主主義人民共和国臨時憲法草案」に関する全人民的討議が行われた。

 ここには、北朝鮮各政党、社会団体、国家機関、工場、企業所、農村、漁村をはじめ、あらゆる部門、すべての単位から、各階各層人民が参加。100万部以上の出版物を通じて、大衆浸透事業が行われ、草案に対するさまざまな意見が寄せられた。

 48年4月28、29日にかけて開かれた北朝鮮人民会議特別会議では、憲法草案が満場一致で支持賛同された。そして、「朝鮮民主主義人民共和国憲法実施について」採択(同7月9日、北朝鮮人民会議第5回会議)、中央選挙委員会結成(同7月10日)を経て、同8月25日、北南朝鮮全地域で最高人民会議代議員選挙が実施された(北朝鮮地域の有権者99.97%、南77.52%が参加)。

 選挙の結果、最高人民会議が構成され、同9月8日に開かれた最高人民会議第1期第1回会議で、臨時憲法草案が朝鮮民主主義人民共和国憲法として採択された。

「人民憲法」の内容

 こうして誕生した「人民憲法」は、朝鮮北半部において実施された土地改革、産業国有化をはじめ、諸般民主改革の成果を確認し、祖国統一と社会主義への移行に関する全朝鮮人民の強烈な念願を正確に反映している。

 また、性別、民族別、思想と信仰の差異、財産の有無、知識程度にかかわらず、公民は政治、経済、社会生活のすべての分野において同等の権利を有することを規定している。

 特徴的な条文は、重要産業の国有化、小作制の廃止を規定した第5条、6条、「いまだ土地改革が実施されていない朝鮮内の地域においては、最高人民会議が規定する期日にこれを実施する」ことを規定した7条などだ。

 朝鮮のスタートは、このように全人民の総意によって成し遂げられた。憲法制定権力が国民にあると建前ではいわれているが、朝鮮のように人民が制定した憲法をもって、治者と被治者が一体化された社会がこの地球上のどこに存在するであろうか。

 祖国統一が差し迫る今日、「人民憲法」制定の経験は、われわれに多くのことを教えてくれている。60年前のあの熱い日々、そして祖国の60年の歩みに誇りを感じる今日この頃である。(李泰一、朝鮮大学校政治経済学部助教)

[朝鮮新報 2008.10.27]